『心理戦』

 しかし、サイレンススズカに競りかけられた時のことを記者に訊かれた大西騎手は、一笑に付した。

皐月賞と同じ。とにかく逃げます。何が来ても関係ありません」

 皐月賞直後のインタビューと同じ内容を、さらに強く断言したのである。

 サニーブライアンは、気性的には問題がない馬である。本格化してきた今なら、逃げなくてもそれなりのレースはできるかもしれない。一方、サイレンススズカの方は、弥生賞でゲートをくぐる大騒ぎを起こしたことからも分かる通り、気性的にはかなり不安定なところがある。本来のところなら、どちらがより逃げたいか、といえばサイレンススズカ陣営のはずだった。

 しかし、サイレンススズカプリンシパルSで、2番手で折り合う競馬でも勝ったことにより、状況は変わった。2200mからさらに距離が200m延びるダービーでは、折り合えるものなら折り合ってレースをしたい・・・サイレンススズカ陣営に、そんな迷いが生じた。そんなところに皐月賞馬の陣営から飛び出したのが、絶対の逃げ宣言である。サニーブライアン陣営の作戦は、皐月賞直後から一貫して逃げ一本・・・そのことが、サイレンススズカ陣営の作戦に微妙な影響を与えたであろうことは、想像に難くない。

 大西騎手は、各方面で強気の発言を繰り返した。

「絶対逃げます」
「今度は勝ちに行きます」
「今回は色気を持っていけます」

 本番が近づくにつれて、収まるどころかむしろヒートアップしていくこうした発言の数々は、マスコミ、口コミなどを通じて、競馬界にみるみる広がっていった。

 この手の発言は、有力馬の関係者があまりやり過ぎると、他の陣営の反感を買うことがある。目標にされやすい逃げ馬の場合は、なおさらである。かつて、春の二冠を逃げ切りながら、菊花賞で6着に敗れ三冠を阻止されたメイズイは、騎手が

「菊は勝って当たり前。相手は時計だけ」

という不用意な発言をしたために他の騎手の反感を買い、さんざん競りかけられてペースを乱されたことが菊花賞の敗因だといわれている。

 しかし、大西騎手は冷静に皐月賞後の各陣営のサニーブライアンへの評価を考えていたふしがある。皐月賞を逃げ切ってもサニーブライアンの評価は高くなかった。大西騎手も、愉快な気はしなかった。ところが彼は、ここで評価の低さを逆手に取った。

「ならば、いっそのこと吹きまくってやれ」

 自分の強気の発言の数々に、「大西は舞い上がっているぞ」という風評が流れているらしいことは知っていた。サニーブライアンへの評価が上がらない現状でのこの風評は、反感よりもむしろ苦笑をもって受け入けられていた。もし本当に自分が舞い上がっていると思ってくれればこれ幸い、マークを外してくれるだろう。また逃げにこだわっていることを強調することで、言えば言うほど「いらない逃げ馬」と認識されるため、サニーブライアンはますます単騎逃げを打ちやすくなる・・・。