『暗中模索』

 ・・・だが、新馬勝ちを記録した後のサニーブライアンは、しばらく苦戦を続けた。早熟血統とは言い難いサニーブライアンだけに、この時期はまだ馬が本物ではなかったのかもしれない。

 2戦目となる百日草特別(500万円下)では、新馬戦と同じく逃げに持ち込んだものの、当時「ノーザンテースト最後の大物か」と言われ、その年の朝日杯3歳S(Gl)で1番人気に推されることになるクリスザブレイブらに捕まって、5着に沈んだ。続いて格上挑戦で挑んだ府中3歳S(Glll)では、小倉3歳S(Glll)を勝ったゴッドスピードの7着に敗れた。ひいらぎ賞(500万円下)では、当時は「芦毛伝説の継承者か」と言われていた大物外国産馬スピードワールドの前に5着に終わった。

 結局、3歳時に4戦走ったサニーブライアンだったが、新馬戦を勝っただけで終わってしまった。

「何年か騎手をやっていると、デビュー戦で『これは凄い』と思わせる馬がいるんですけど、2戦目、3戦目と勝った者同士で走るとダメな馬もたくさんいるんですよね。そうして自分が『思い込みすぎたかな・・・』と気づかされる。サニーブライアンも、なかなか次が勝てませんでしたから・・・」

 大西騎手も、苦笑いする結果だった。

 そんなサニーブライアンに光が見えたのは、4歳1月のジュニアC(OP)でのことだった。前走、年明け緒戦の500万下でも2着に敗れ、さらにそれから中1週の強行軍になったこともあり、7頭だての4番人気と評価は低かった。しかし、サニーブライアンは、逃げて自らレースをスローペースに持ち込むと、直線でもしぶとく粘ってそのまま押し切った。新馬戦に続いて、今度も逃げ切り勝ちだった。

 大西騎手は、ここまでのレースから、サニーブライアンのひとつの特色を読み取りつつあった。少々道中で無理をしてもなかなかばてないサニーブライアンだったが、その一方で、道中に末脚を温存しようとしても、なかなか直線での瞬発力につながらないのである。当時のサニーブライアン上がり3ハロンのタイムを見ると、デビュー戦こそ35秒2を出しているものの、あとは36秒0すら切っていない。この事実に気づいた時、大西騎手たちは、サニーブライアンの「逃げ馬」としての資質に注目するようになった。