『特別な日』

 東京競馬場に戦いの開幕を告げるファンファーレが鳴り響き、スタンドを埋め尽くす十数万のファンが大喚声をあげた。ところが、戦いを目前にしたゲート入りの時にトラブルが起きた。出走馬の1頭が落鉄した釘を踏んでしまって暴れたため、発走除外となってしまったのである。その馬は、皐月賞で2着に入ってサニーブライアンと共に5万馬券の片棒を担ぎ、この日も皐月賞馬を上回る支持を集めていたシルクライトニングだった。フルゲート18頭のはずの日本ダービー(Gl)だったが、シルクライトニングのダービーは、この時点で終わってしまった。

 しかし、予想外のトラブルにあっても、サニーブライアンはまったく動じない。極限状態での予期せぬ事態にあっても、常に冷静さを保ち続ける強い精神力こそが王者の条件である。サニーブライアンは何事もなかったかのようにゲートに入った。パートナーの仕上がり具合、そして落ち着きは、鞍上の大西騎手を満足させるものだった。

 サニーブライアンの鞍上にいる大西騎手にとって、ダービーでの騎乗は10年前のサニースワローのときに次ぐ2度目となる。しかし、大西騎手は不遇の時代、地方遠征でようやく食っていくことができた頃も、ダービーの日だけは、東京競馬場に戻ってくるのが常だった。忘れ去られた騎手となりつつあった大西騎手に、ダービーの騎乗依頼などあろうはずがない。それどころか、ダービー当日の全レースを含めても、騎乗依頼がまったくないことさえしばしばあった。そんな時でも、大西騎手は東京競馬場へ帰ってきた。

「騎手にとって、ダービーだけは特別だから・・・」

そういう大西騎手は、騎乗馬がまったくいない年には、スタンドでファンに混じってレース、そしてダービーを目に焼き付けていた。そんな大西騎手が、再び立つことを許された夢舞台。ひそかに、しかし確かに栄冠を狙う彼は、ゲートの中で何を考えたのだろうか。