『あの初夏、最も幸福な人々』

 サニーブライアンによる二冠達成は、彼の関係者たちにも大きな喜びをもたらした。大西騎手、中尾師、馬主の宮崎氏、生産者の村下ファーム・・・すべての人々にとって、それは初めてのダービー制覇だった。

 サニーブライアンの関係者をみると、厩務員が代わった以外は、10年前のサニースワローのそれとまったく同じ顔ぶれだった。10年前に、22番人気をはねのけてサニースワローで2着に入り、競馬ファンを驚かせた彼らが、今度は6番人気をあざ笑うように、見事にサニーブライアンでダービーを逃げ切り、競馬ファンの度肝を抜いたのである。

 ゴールに駆け込んだサニーブライアンの鞍上で、大西騎手には思わずガッツポーズが出た。そのとき彼の胸に去来したものは、おそらくデビュー以来18年間、必ずしも恵まれた境遇とはいえない騎手生活を送りながらも夢を捨てずに闘い続けた者だけが分かる喜びと昂揚だったのだろう。

 レースの後、中尾師は

「僕も騎手も馬主さんも、ダービーは連対率10割なんですよ」

と笑った。皐月賞後は

「みんながフロックだとうるさいから、自分でもフロックだと言っていた」

という中尾師だが、内心では馬の力を信じ、不当な評価に憤っていた。そんな彼が、馬の実力を最高の形で証明したのである。

 宮崎氏や村下喜幸氏も、馬主席で抱き合って喜んだ。村下氏に至っては、ぼろぼろと涙を流していたという。村下氏は、10年前はサニースワローを大けやきの向こうで見失い、同枠の馬が馬群に沈むのを見てがっかりした後に勘違いに気付いて驚いたという。しかし、今度のサニーブライアンは、終始先頭を走っていたのだから見間違えようがなかった。

 サニーブライアンを取り巻く人々は、10年の時を超えてダービーに挑み、ついには制覇に至る喜びを、全員で分かち合った。無論、彼らのそれぞれに10年という時は流れていったのだが、ダービーの時の彼らは、まるでそれぞれに過ぎた10年の時を忘れたかのようだったという。