『燃え尽きぬままに』

 半年後、サニーブライアンが骨折癒えて帰ってきた時は、秋競馬が本格化しつつあった。復帰当初、有馬記念(Gl)を使って使えないことはない、と言われていたが、中尾師は、無理を嫌って早々と回避を表明した。サニーブライアンの復帰は5歳になってからとされ、AJC杯(Gll)からもうひとつステップレースを使った後に、天皇賞・春(Gl)へ進むというローテーションが発表された。

 しかし、半年間戦列を離れた影響は大きく、サニーブライアンの調教はなかなか思うように進まなかった。馬体がレースを使える状態に仕上がらず、AJC杯は回避することになった。そして、目標を阪神大賞典(Gll)に切り替えて調整を進めていたサニーブライアンの脚部に、突然の異常が発生した。・・・競走馬の不治の病と言われる屈腱炎であった。

 サニーブライアン屈腱炎の症状は重く、治癒まで1年はかかると診断された。屈腱炎は、骨折と違って、いったん治っても競走能力に影響する上、再発しやすく本当の意味での「完治」は不可能とされている。ダービー以降戦列を離れていたサニーブライアンに、さらに1年以上のブランクを経て、なお二冠馬の栄光に恥じない実力を維持させることは困難だった。

 1997年の二冠馬サニーブライアンは、ダービー後にレースに使われることなく引退し、種牡馬入りすることになった。