『双葉より芳し』

 生まれたばかりのレオダーバンは、生まれながらに脚部不安を抱えていた。マルゼンスキー産駒の特色として「走る子ほど脚部不安に悩まされやすい」という点がある。マルゼンスキー自身がそうだったように、その代表産駒となった子供たちも、多くが脚部不安に悩まされていた。

 しかし、レオダーバンが生まれた1ヶ月後のダービーでは、やはりマルゼンスキーの産駒であるサクラチヨノオーが優勝し、ついにマルゼンスキーは「ダービー馬の父」の称号を手に入れた。マルゼンスキーの血を確かにその身体に持つレオダーバンに対する期待も、必然的に高まった。

 3歳になってから美浦の奥平貞治厩舎へと入厩したレオダーバンは、早い時期から厩舎の期待馬として調教を積まれた。脚部不安による配慮から、デビューは少し遅い12月にずれこんだものの、いざ戦いの舞台に立ってみると、レオダーバンの能力が抜けていることが分かるまでに時間はかからなかった。

 横山典弘騎手の手綱で中山競馬場芝1600mコースの新馬戦にデビューを果たしたレオダーバンは、まずは他の馬を寄せつけない逃げ切りで初勝利を収め、期待に応えた。奥平師は、この勝利でレオダーバンの能力はかなり高いと確信し、後は芝のレースを使って脚部への負担がかかることをおそれ、次走を500万下のダート戦に決めた。たとえダートでも、レオダーバンの能力ならばゆうゆう勝てるはずだと信じていた。