『偉大なる父』

 レオダーバンの父となるマルゼンスキーは、ある程度の競馬ファンにならば説明を要しないほどの名競走馬にして名種牡馬である。「最後の英国三冠馬Nijinsky ll産駒の持込馬としてデビューした現役時代も通算成績8戦8勝の戦績を残し、朝日杯3歳Sで大差勝ちしたのをはじめ、8戦で2着馬につけた着差を合計すると、実に61馬身になるというからなんとも凄まじい。持ち込み馬も外国産馬と同様に扱っていた当時の規定ゆえにクラシックへの出走は許されなかったものの、日本短波賞で後の菊花賞プレストウコウを子供扱いにしたその走りはまさに伝説であり、まだ競馬後進国だった日本に本当の世界のレベルを感じさせた、当時としては唯一の馬だった。クラシックには一度も出走していないにもかかわらず、彼を「三冠の器があった」と評する人も少なくない。

 しかも、マルゼンスキーのさらに素晴らしいことは、競走馬としてだけでなく種牡馬としても一流の成績を残したことだった。「名競走馬、必ずとも名種牡馬ならず」というとおり、その言葉の正しさを証明する例は枚挙に暇がないものの、マルゼンスキーについてはそれはまったくあてはまらず、当時は既に菊花賞ホリスキー宝塚記念スズカコバンなどを輩出していた。競走馬としては、今でいうGlレースをひとつしか勝っていないマルゼンスキーだが、そんな彼が顕彰馬に選ばれていることに異を唱える声は、寡聞にして聞いたことがない。彼が日本競馬に残した功績の大きさを考えれば、それもまた当然のことだろう。

 レオダーバンは、このような血統背景のもとに生を享けた。日本古来の牝系と、日本競馬を震撼させた驚異の持ち込み馬の間に生まれた子。それは早田氏が牧場を開いてから11年目、約束の10年を過ぎてもダービー出走すら果たせない失意の時期の誕生だった。