『運命の暗転』

 脚質もそれまでの追い込み一辺倒から脱却し、新たな距離適性を開拓したドクタースパート陣営は、翌年の天皇賞・春(Gl)に向けて意気あげる結果となった。・・・しかし、彼らが抱いた希望が実を結ぶことはなかった。ドクタースパートは、両前脚に屈腱炎を発生し、その競走生活は突然の終末を迎えることになってしまったのである。

 ドクタースパートが仮に翌年の天皇賞・春(Gl)に無事に出走できていたとしても、立ちはだかるのは5歳のメジロマックイーンだった。冷静に考えれば、どんなに頑張っても2着争いがせいぜいだったと思われる。しかし、イナリワンオグリキャップが相次いでターフを去った競馬界で、ドクタースパートまで突然の引退を余儀なくされた後、マル地の大物は途絶えた。ひとつの時代が終わり、その後「マル地」が復活するまでは、しばらくの時間が必要だった。して、その後甦った「マル地」は、もはやドクタースパートの時代の「マル地」と同じものではありえなかったのである。