『我、府中に立つ』

 華やかな戦いの舞台に立つことは、一流馬の特権である。皐月賞で悔しい思いをしたレオダーバンだったが、そんな思いはもうたくさんだった。既に2勝を挙げているレオダーバンの次走は、当然のことながらダービーへのステップレース・・・奥平師が次走に選んだのは青葉賞(OP)だった。

 青葉賞は、当時はまだ重賞ではなくダービーの指定オープンとされていた。ダービーへの優先出走権も、上位2頭にしか与えられない。だが、それまで中山でしか走ったことのなかったレオダーバンにとって、ダービーと同じ東京2400mのコースで行われる青葉賞は、本番へ向けての予行演習として極めて重要な意味を持っていた。

 そして、ここでレオダーバンが見せた競馬は、ファンに「ダービー戦線にレオダーバンあり」と認識させるに十分なものだった。スタートで立ち遅れ、第4コーナーでもまだ最後方にいたレオダーバンだったが、直線で10頭以上をごぼう抜きにする豪脚を見せ、最後には2着に1馬身4分の3の差をつけ、圧勝したのである。それは、皐月賞に間に合わなかった無念を晴らすかのような豪快な差し切り勝ちだった。ダービーへの優先出走権も、手に入れた。

 レオダーバンは、こうして日本ダービーへの切符を手に入れた。もっとも、いくら優先出走権を得たとしても、その後故障や調整ミスで出走できなっては意味がない。しかし、レオダーバンは心配された脚部不安を起こすこともなく、無事にダービーのゲートへと駒を進めることができた。

 レオダーバンのダービー出走は、故郷である早田牧場新冠支場にとって、開業14年目で初めてとなる、生産馬のダービー出走となった。「10年でダービーを獲る」から始まった牧場の、「14年目でダービーに出る」までの長い道のり。約束の10年でダービーを勝つどころか出走馬すら送り込めず、「恥ずかしくて表を歩けなかった」早田氏にとって、この日は待ちに待った一日だった。