『内地から来た大ぼら吹き』
早田氏がモミジの稼いでくれた資金を元手として新冠に開いた牧場・・・それが早田牧場新冠支場である。早田家にしてみれば、文字どおりの「出家」ではないにしろ、跡取り息子が福島を離れて北海道に牧場を開いてしまったのだから、山伏の予言がまったく的外れだったわけではない。
この牧場の開設時の名称は、牧場の大功労馬の名前を取って「モミジファーム」と名づけられていた。帰国する際、モミジはもちろんのこと、他にも現地で手に入れた繁殖牝馬、さらにはカナダ年度代表馬ヴァイスリーガルまで買い付けて種牡馬として連れ帰り、出会った人々に
「10年以内にダービーを獲ります」
と宣言して回るほどで、自信に満ち溢れた様子だったという。そのため、周辺の牧場から噂はたちまち広まり、ついには馬産地全体に
「今度、新冠に内地から来た大ぼら吹きが牧場を開いたらしいぞ」
という話が評判になるほどで、早田氏は牧場を開いてすぐに、馬産地の有名人となった。
もっとも、いまや伝説となった「ダービー10年内勝利宣言」には、自分自身の退路を封じることで自分自身を追い詰めようという思いもあったようである。早田氏は、開業後も、資金に余裕があったわけでもないのに近隣の牧場から筋の通った血統を持つ繁殖牝馬を次々と買い集め、ケンタッキーダービーで1着入線しながら失格となった幻の名馬ダンサーズイメージをはじめとする種牡馬の導入も続けた。家族に対して
「ダービーを獲るまでは煙草をやめる」
と宣言したのも、このころのことである。