『兵どもが夢の跡』

 2002年12月、日本の競馬界に、凄まじい衝撃とともにひとつの情報が流れた。1994年の三冠馬ナリタブライアンをはじめとする90年代の名馬たちを数多く生産してきた早田牧場新冠支場を含む早田牧場の経営が破綻し、グループ企業のCBスタッドなどとともに、札幌地裁から破産宣告を受けたのである。

 1990年代の競馬を語る上で、早田牧場新冠支場の存在を抜きにすることはできない。早田牧場新冠支場の歴史は新しく、その創設は1977年のことである。しかし、社台ファームサンデーサイレンスと並ぶ大種牡馬ブライアンズタイムを擁し、ビワハヤヒデナリタブライアンをはじめとする多くの名馬を次々とターフに送り出すことで評価を高めた早田牧場の勢いは凄まじく、当時の人々は、絶対的な地位を築きつつある社台ファームに迫る牧場があるとしたら、それは早田牧場しかないと信じたものである。創設からわずか14年でGl馬を輩出し、その3年後には三冠馬を輩出し、そしてその8年後に25年という短い歴史の幕を閉じた早田牧場の大牧場の栄華と没落は競馬界、そして人の世の移り変わりの激しさを感じさせる。

 そんな早田牧場にとって、生産馬から現れた初めてのGl馬が、1991年の菊花賞レオダーバンである。レオダーバンは、早田牧場の基礎牝系のひとつであるとともに、その歴史は明治期まで遡ることができる名牝系ビューチフルドリーマー系を母系に、そして今や伝説となった名馬にして名種牡馬マルゼンスキーを父に持ち、当時の競馬界としてはむしろ古典的な血統といえたが、実際の彼は、当時の生まれ故郷に象徴されるように、完成度よりはむしろ未知の可能性に多くを持った馬だった。そんな勢いのままついにはGlをも制した彼だったが、その後は突然の悲運によって、完成を迎えることなくターフを去っていった。・・・それから12年、大きく変わったのは彼の生まれ故郷だけでなく、彼自身、そして彼を取り巻く環境もまた、運命の波を避けることができなかったのである。

 今回のサラブレッド列伝では、激しい時代の移ろいの中、かつて彼を取り巻いた多くのものが「兵どもが夢の跡」となりつつある中で、今なお押し寄せる現実、そして運命と戦い続けている菊花賞馬・レオダーバンを語ってみたい。