『本命なき戦い』

 もっとも、レオダーバンに懐疑的な見方が広がっていく中で、岡部騎手だけはレオダーバンの成長を確信していた。

「結果は負けたけれど、内容は悲観するようなものじゃないよ」

 セントライト記念をこのように評した岡部騎手は、果たしてこのレースの中から、何をつかんだというのだろうか。

 トウカイテイオーが不在の菊花賞(Gl)で1番人気となったのは、春から期待馬に挙げられてはいたものの、皐月賞では大きな不利を受け、ダービーでは骨折で出走すらかなわなかったというイブキマイカグラだった。直線一気の不器用な脚質ゆえに安定感はなかったが、その実力は当時の誰もが認めるところだったし、父リアルシャダイ、伯父アンバーシャダイという血統も、長距離向きと思われた。イブキマイカグラに続いたのは、後に有馬記念(Gl)3年連続3着となり、稀代の人気馬となるナイスネイチャだった。もっとも、この馬も当時はまだ元祖・銅メダルコレクターという三枚目の面影はなく、小倉記念(Glll)、京都新聞杯(Gll)を含む4連勝で菊花賞に名乗りを挙げた、堂々たる夏の上がり馬だった。

 レオダーバンは、イブキマイカグラナイスネイチャに次ぐ3番人気にとどまった。彼はダービーでは2番人気、2着となっており、1番人気、1着となった馬がこの日はいないわけだが、そうであるにも関わらず人気が落ちてしまうあたりに、レオダーバンに対する懐疑的な見方がうかがえる。彼に続いたのは、三冠馬ミスターシービーの代表産駒シャコーグレイド、後の国際Gll馬フジヤマケンザンといった面々だった。

 そんな人気はさておき、天高く馬肥ゆる秋の青空の下、「最も強い馬」が勝つ菊花賞(Gl)のファンファーレが鳴り始めた。―最も速く、もっとも運のある馬が不在の中で。