『夢を背負って』

 皐月賞(Gl)当日、ファンは3歳王者の実力を信じ、弥生賞で惨敗したサクラホクトオーを1番人気に支持した。ドクタースパートは3番人気となった。

 だが、レース当日の中山競馬場は、弥生賞ほどではないにしても、馬場状態は最悪に近いものだった。弥生賞のような悪コンディションが続く中、さらにレースで使い込まれたその馬場は、「馬場状態、不良」という言葉では言い尽くせないものとなっていた。前走の結果から、不良馬場だけは避けたかったサクラホクトオー陣営は、深いため息をついた。

 そんなため息とは対照的に、ドクタースパート陣営は小躍りして喜んでいた。ドクタースパートは、なにせ半年前は道営競馬のダートコースで走り、そこで売り出した馬である。力のいる馬場はまったく苦にならない。それどころか、むしろ望むところですらあった。

 それまでは、「病気の子供たちを放ってはおけない」ということで、愛馬が出走する時も含めて東京競馬場には足を運んだことがなかったという馬主の松岡氏だが、クラシックへの出走となるこの日だけは、さすがにいても立ってもいられなかった。病院に

「出張のため本日休診します」

という張り紙を残して函館から消えた彼は、東京競馬場にいた。

 そして、ドクタースパートを見守るのは、松岡氏だけではなかった。道営競馬出身のドクタースパートが、中央の皐月賞に出走する・・・。その事実は、道営競馬の関係者たちすべての胸を熱くするものだった。道営競馬で彼の主戦騎手を務めた佐々木一夫騎手は、その時サウナに入っていたが、皐月賞のスタート時刻には、サウナから飛び出して素っ裸のままテレビにかじりついたという。かつての管理調教師だった成田師ももちろんのこと、道営競馬の関係者すべてがドクタースパートに熱い視線を注いでいた。籍は中央に移ったとはいえ、彼らの中でデビューし、育ち、そして旅立っていったドクタースパートは、彼らの代表にほかならなかった。多くの人の夢を背負い、ドクタースパート皐月賞は始まった。