『忘れられた馬』

 1998年夏、日本の競馬界は、2頭の日本馬による海外Gl制覇というニュースに酔いしれた。日本で調教されたシーキングザパールタイキシャトルという2頭のサラブレッドが相次いで欧州へ遠征し、シーキングザパールモーリス・ド・ゲスト賞(国際Gl)、タイキシャトルジャック・ル・マロワ賞(国際Gl)をそれぞれ勝ったのである。海外Gl制覇・・・それは、長年日本競馬界が夢見て果たしえなかった夢だった。

 日本競馬界の夢をかなえた2頭は、いずれも海外の牧場で生まれた後に日本へ輸入された「外国産馬」である。外国産馬は、概して仕上がりが早く、またよく走るといわれる。海外のセリで目についた馬だけを買ってくる以上、レベルが高いのは当然ともいえるが、近年現れた名馬たちを見ても、外国産馬たちの活躍は目を見張るものがある。タイキシャトルシーキングザパール以降も日本競馬には多くの外国産の名馬たちが誕生しており、外国産馬はもはや日本競馬になくてはならないものとなっている。

 だが、近年Glを制した外国産の名馬たちの名前は挙げることができても、競馬の歴史の中で初めてGlを制した「時代の先駆者」ともいうべきサラブレッドについては、ほぼ忘れ去られている感がある。競馬場にいる100人の競馬ファンに、Glを初めて勝った外国産馬は何か、と聞いてみたとしても、果たして正しく答えられるファンが何人いるだろうか。

 かつて、外国産馬内国産馬と区別されていなかった時代には、外国産馬天皇賞を制したことが2度あるという。しかし、内国産馬、そして馬産地の保護という大義名分の下、外国産馬がクラシックや盾戦線から制度的に閉め出されるようになってからは、強い外国産馬は姿を消していた。せっかく高い金を払って有望な外国産馬を買ってきても、条件戦レベルではもちろんのこと、格式が最も高いレースにも出走することさえできない・・・というのでは、敬遠されないはずがない。かつて持込馬外国産馬として扱われていた時代に現れた持込の名馬マルゼンスキーは通算8戦8勝、朝日杯3歳S大差勝ちなどの実績を残しながら、ついに当時の競馬界の一線級の名馬たちとは対戦することさえできなかったため、ダービーの時に主戦騎手の中野渡清一騎手が

「賞金はいらない、他の馬の邪魔をしないよう大外を走る、だからダービーに出させてくれ!」

と叫んだ事実は、規則によって疎外される彼らの悲しみを象徴している。

 そんな外国産馬にとってあまりに長い不遇の時代を乗り越え、外国産馬として、グレード制度が導入されて以降初めて中央競馬のGlを制したのは、1986年の宝塚記念パーシャンボーイである。今回のサラブレッド列伝では、外国産馬たちの歴史の中で極めて重い意味を持つ足跡を残しながら、現在の競馬界からは忘れられている悲運の馬である彼を取り上げてみたい。