『父の代役』

 パーシャンボーイを日本へ買い付けてきたのは、アローエクスプレスブロケードファンタストなど多くの名馬たちの馬主として知られ、近年でも1999年の桜花賞(Gl)勝ち馬プリモディーネを送り出したオーナーブリーダー伊達秀和氏である。

 伊達氏がパーシャンボーイを日本に輸入するにあたっては、その数年前、伊達氏がアイルランドで、種牡馬入りしたばかりのある馬に目を付けたことがひとつの伏線となっている。伊達氏は、最初からパーシャンボーイに目を付けたわけではなく、先に目を付けたのは父のパーシャンボールドの方だった。

 伊達氏が目をつけた時はアイルランド種牡馬生活を送っていたパーシャンボールドは、現役時代は英愛で通算16戦6勝、リッチモンドS(Gll)、ホーリスヒルS(Glll)を制し、ミドルパークS(Gl)で2着した程度の実績しかなく、短距離での二流馬という域を出なかった。

 しかし、伊達氏はそれまでに、スパニッシュイクスプレス、イエローゴッドテュデナムといった、競走馬としては必ずしも一流と評価されていなかった馬たちを日本へ輸入しては、種牡馬として成功させていた。

「日本の馬場は欧州より軽い分、欧州でスピード血統とされる系統の馬が活躍しやすい」

 そう考えていた伊達氏は、種牡馬を探す時には、競走成績よりも日本の馬場に合うかどうかを考えるようにしていた。そんな彼が目をつけたのが、パーシャンボールドだった。

 しかし、伊達氏がパーシャンボールドを買おうとして持ちかけた交渉は、うまくいかなかった。パーシャンボールドの血統を見ると、米国史上屈指の名馬ボールドルーラーの孫にあたり、さらに父のボールドラッドも英国3歳王者になっている。母父、母母父とも英国ダービー馬という重厚な母系に、米国の名馬の系譜を引く3歳王者のスピードを加えた血統構成は、実にバランスのとれたものだった。それだけに、パーシャンボールドには本場のホースマンたちからも、競走成績以上の期待がかけられていたのである。ちなみに、1978年にはボールドルーラー産駒の「ボールドラッド」という馬が種牡馬として日本へ輸入されているが、この馬は米国産であり、愛国産のパーシャンボールドの父とは、同名異人ならぬ同名異馬である。サラブレッドの馬名登録が国別に行われるために起こる重複だが、血統表では混乱を避けるために、馬名の後に(IRE)(USA)と産地を明示する工夫がされている。

 閑話休題。パーシャンボールドの輸入には失敗したものの、パーシャンボールドの子供を日本で走らせてみたいと思う伊達氏の思いに変わりはなかった。そんな伊達氏がアイルランドのセリでたまたま見つけたのが、パーシャンボールドを父に持ち、後にパーシャンボーイと名付けられて日本で走ることになる黒鹿毛の2歳馬だった。