『外国産馬Gl初制覇』

 同じようなタイミングで仕掛けたパーシャンボーイメジロトーマスの決着は、馬体を合わせての叩き合いに持ち込まれた。メジロトーマスも、天皇賞・春(Gl)で2着に残った実績がある馬であり、そう簡単に脱落はしない。・・・だが、メジロトーマスは典型的なヨーロッパのステイヤーであるフィディオン産駒であり、一瞬の瞬発力よりは、前からスタミナと勝負根性で粘り込むタイプだった。この勝負は、直線で想像以上の切れ味を繰り出し、さらにマクリ気味で進出してきたにもかかわらず脚色の疲れもないパーシャンボーイに分があった。

「最後の最後まで勝てるという確信は持てなかった」

 そう語るのは柴田騎手だが、パーシャンボーイは残り1ハロンあたりで最後の敵をも競り落とし、そのまま1馬身半差を保ってゴールした。・・・後方から押し上げてきたスダホークスズカコバンの反攻は遅すぎたのか、3着争いまでがやっとだった。

 パーシャンボーイが、彼のことを最初に認めた伊達氏の御前で果たした勝利は、JRAがG制度を導入して以来初めてとなる、外国産馬によるGl制覇だった。それまで外国産馬のGl勝ちはなく、「外国産馬はGlを勝てない」というジンクスが公然と語られていたが、パーシャンボーイは、そのジンクスを重賞初挑戦でいとも簡単に打ち破ったのである。この勝利の意義は、その後に続いた外国産馬たちにとっても小さくないものだった。

 ちなみに、パーシャンボーイが小倉で未勝利を勝ったのは、3月9日のことである。そして、宝塚記念はこの年は6月1日に行われているから、パーシャンボーイは初勝利から実に3ヶ月足らずで、宝塚記念というひとつの頂点に登り詰めたことになる。これは、競馬史上に残るシンデレラストーリーだった。