『勝負が動く刻』

「行くなと言ったら、絶対に行かない。行けと言ったら、バーッと行く。人間の意思の伝達の分かる馬」

 パーシャンボーイをそう評したのは、高松師である。高松師が太鼓判を押したとおり、パーシャンボーイは柴田騎手の意思を受け、前との差をつめにかかった。

 柴田騎手の早めの仕掛けによって、沈滞気味だったレースは動いた。第4コーナーから直線にかけ、パーシャンボーイに誘われたかのように後ろの馬たちも次々仕掛けた。

 ファンの視線は、この期に及んでなおクシロキングに向けられた。だが、直線を前にした彼に、もはや脚が残っていないことは明白だった。

 レース前の予想では、この日あっさり勝つ馬がいるとすれば、それはクシロキングだろう、とされていた。この年に入って4戦3勝、中距離重賞を2つ勝ち、さらに前走では、距離の壁を破って天皇賞・春(Gl)を勝ったクシロキングの実績は頭ひとつ抜けていたし、何より相手関係が弱すぎた。

クシロキングなら、勝って当たり前・・・」

 それが彼を1番人気に押し上げたファンの多数派の思いだった。

 しかし、そんな人々は、ミスターシービーシンボリルドルフミホシンザンといった名馬が人気に応えて大レースを勝つことが当たり前だった時代に慣れすぎ、前走で強い勝ち方をした馬が次走で無惨に敗退するという当然の光景を忘れていた。

 クシロキングは、当時競馬界に煌めいていた名馬たちに比べると、やはり役者が一枚も二枚も落ちる存在に過ぎなかった。パーシャンボーイヤマノスキーに襲いかかっている頃、場内の悲鳴をよそに、1番人気のクシロキングは馬群にずるずると沈んでいった。

 クシロキングの轟沈を尻目に、最後方からはファン投票1位のスダホーク、連覇を狙うスズカコバンが一緒に上がってきた。・・・だが、彼らが仕掛けたとき、前の方では、既に手の届かない位置で先頭を争っている馬たちが2頭いた。早めに動いたパーシャンボーイと、その彼と並ぶような形で上がっていったメジロトーマスである。彼らは互いに競り合いながら、ようやく先頭に立った。