『戦いいまだ終わらず』

 現役を引退したパーシャンボーイは、新冠種牡馬生活を送ることになった。パーシャンボーイの初年度の種付けは40頭であり、それ以降も39頭、36頭の繁殖牝馬を確保した彼の人気は、多頭数交配の技術が発達していなかった当時としては、決して悪くないものだった。

 しかし、生涯ただ一度の重賞挑戦で宝塚記念(Gl)を制したパーシャンボーイには、何となく実力を測りがたいイメージがつきまとったことも事実である。また、その唯一の勝ち鞍は、出走馬のレベルが低いとみなされていた。実力がいまひとつ信頼してもらえなかったパーシャンボーイのもとへ集まってきた繁殖牝馬の質は、量ほどに充実したものではなかった。そして、その量も4年目以降は急減していった。

 このように、馬産界の風はパーシャンボーイにとって悪い方向へと変わり始めた。だが、風が逆風に変わり始めたそのころに競馬場に姿を現したパーシャンボーイの初期の産駒は、馬産地の予想をはるかに超える活躍を見せた。パーシャンボーイ産駒からは、そう質が高いわけでもない・・・むしろ低い繁殖牝馬の中から、まずは関東オークス浦和桜花賞を3着したメイタイザンが出現した。さらに、その後中央競馬では、パーシャンスポットクイーンS(Glll)でシンコウラブリイの2着に大健闘し、5歳時にも新潟記念(Glll)、府中牝馬S(Glll)でともに2着などの実績を残してオープン馬に出世した。

 彼女たちの活躍は、馬産界から忘れ去られかけていたパーシャンボーイに再び注目を集める結果となった。一度はひと桁まで落ち込んでいたパーシャンボーイの種付け頭数は再び上昇に転じ、繁殖牝馬の質も上がってきた。人は、逆風の中でのみより高く舞い上がれるという。馬であるパーシャンボーイもまた、自らの実力で種牡馬生活の危機を切り抜けたかに思われた。