『マルゼンスキーの代表産駒』

 父マルゼンスキー、母サリュウコバンという血統とともに生を受けたスズカコバンは、生まれてすぐにその素質を認められるようになった。彼を見に来たある調教師からは

マルゼンスキーの代表産駒になれる器です」

と太鼓判を押してもらったほどで、馬主もすぐに永井永一氏に決まった。永井氏といえば、「スズカ軍団」の先代総帥である。

 マルゼンスキーといえば、生まれつき脚が外向していたことが有名であり、8戦8勝という無敗の競走生活を終わらせる直接の原因となったのも、脚の外向によって生じた脚部不安だった。マルゼンスキー産駒もまた、「走る子ほど脚が外に曲がっている」といわれたように、素質がある子ほど脚部不安に悩まされる傾向があった。しかし、スズカコバンにはマルゼンスキー産駒にありがちなこの欠陥もなく、その前途は洋々たるものに見えた。

 牧場にいた頃のスズカコバンは、母に似て気性が荒く、牧場の従業員を蹴飛ばしたり引きずったりすることがしょっちゅうあったという。しかし、そんな欠点は、彼がうかがわせる将来性に比べれば小さなもので、牧場の人々はスズカコバンの将来に大きな期待をかけていた。