『西の名脇役』

 いつの時代、どこの競馬にも「名馬」と呼ばれるサラブレッドがいれば、「脇役」と呼ばれるサラブレッドがいる。「名馬」がすべてのファンから強さを認められ、畏敬を捧げられる存在だとするならば、「脇役」はそうした存在とはまったく異なる。「名馬」と異なり、彼らは大レースですべてのファンから主役として扱われることはない。彼らが主役として扱われるのはせいぜいGll、Glllまでで、Glではせいぜい伏兵としての扱いにとどまる。無論、最初はそのような扱いを受けていても、自らの力でGlを勝ちまくることでそうした扱いを抜け出す馬もいるが、そうした馬たちはもはや「脇役」とは呼ばれない。

 ただ、そうした「脇役」の中に、長期間にわたって「脇役」として活躍し続けることによって「主役」に負けない存在感を持つようになる馬がいる。1985年の宝塚記念(Gl)を制したスズカコバンも、そんな1頭である。

 スズカコバンは、1983年のクラシック三冠、84年の天皇賞・秋(Gl)を制した「四冠馬」ミスターシービーと同世代に生まれた。彼らと同じ1980年生まれの世代といえば、ミスターシービーのほかにもマイルの覇王ニホンピロウィナー、ジャパンC(Gl)を日本馬として初めて勝ったカツラギエース、皇帝シンボリルドルフを差した日本唯一の馬ギャロップダイナ、4歳で有馬記念を制したリードホーユーなど、後世に知られる強豪が名を連ねている。

 そんな「強い世代」に生まれたスズカコバンは、3歳でデビューしてから7歳で引退するまでの間、約4年間にわたって中長距離重賞戦線の常連として活躍し続けた。彼が生涯に挙げた重賞勝ちは、4つである。しかし、当時の競馬界における彼の存在感は、そんな数字だけで表されるものではなかった。「東西対決」という言葉が今よりずっと強く競馬界に残っていた時代、関西馬が「弱い」という言葉と同義で使われていた時代に、スズカコバンは関西を代表する強豪として戦い続け、地元の宝塚記念(Gl)でただ一度の栄光を手にした。関西のファンもまた、地味ながら長期に渡って安定した成績を残したスズカコバンを彼らの代表として認め、声援を送り続け、彼らの声援を受けたスズカコバンは、当時の競馬界に独特な存在感を持ち続けたのである。そんなスズカコバンもまた、日本競馬の歴史を彩る時代の名脇役の1頭だった。