『むかしがたり』

 終わってみれば、「シンボリルドルフ世代」のうちシンボリルドルフ自身を除くと、世代混合Glを勝ったのはスズパレードだけということになった。彼らは単に世代混合Glを勝てなかったというにとどまらず、シンボリルドルフとの対戦成績からいっても、1歳上の「ミスターシービー世代」の馬たちは2度シンボリルドルフを破っているのに対し、より対戦機会が多かった彼らは一度もシンボリルドルフに先着することができなかった、という意味でも差をつけられている。彼らの世代が、客観的に「弱い世代」に属することは、間違いないといわなければならないだろう。

 しかし、シンボリルドルフ世代の馬たちは、4歳、5歳というサラブレッドの成長期、完成期に、1頭の次元の違いすぎる馬と一緒に走らざるを得なかった。4歳春にルドルフ最大のライバルだったビゼンニシキは、文字どおり「潰され」、早い時期に引退している。また、故障に見舞われることなく古馬戦線へと進むことができた馬たちも、クラシック戦線でシンボリルドルフに粉砕されて自信を喪失した状態だった。彼らは、シンボリルドルフと同世代に生まれたという自らの運命に泣かされた犠牲者でもあった。

 彼らの中には、もし他の世代に生まれていれば、Glを勝てていた馬がいたかもしれない。・・・だが、それはあくまでも「たられば」の話であり、仮定と想像の上にのみ成り立つ可能性でしかない。実際には、彼らは「弱い世代」と評価され続けながらつらい現実を生きてきた。

 現在、スズパレードは従兄弟であり、僚馬でもあったスズマッハとともに、浦河のイーストスタッド種牡馬生活を送っている。スズパレードが2桁の産駒数を確保できたのは最初の2年だけで、その後の産駒数はずっと1桁に留まり、近年は種付け自体がほとんどなくなっている。産駒から新潟県競馬やアラブでの活躍馬は出たものの、そのことは種牡馬スズパレードに人々の目を向けさせるきっかけとはならなかった。

 ところで、スズパレードの生まれ故郷である柏台牧場は、後継者が得られずに閉鎖されてしまった。数々の名馬をターフへ送り出した名門牧場の跡地は、現在社台ファームに買収されて日高社台ファームとなっている。競馬界ではスピード偏重の傾向が顕著になり、一部の人気種牡馬の産駒に活躍馬が集中する様になった時代の中で、馬産界では中小牧場が次々と淘汰されて、廃業に追い込まれつつある。

 そんな時代の中で、時の流れに置いていかれたように寂しい種牡馬生活を送っているスズパレードは、人気を集めている輸入外国産種牡馬を尻目に、自分と同じようにシンボリルドルフ、そしてマイルに転じてからはニホンピロウィナーによって行く手を阻まれ続けた戦友スズマッハと、果たして、何を語り合っているのだろうか―。[完]