2000-02-16から1日間の記事一覧

『昔の光、今何処・・・』

悲しき大器カツラギハイデンは、北九州記念の後またもや屈腱炎を再発してしまった。しかし、もはや事実上Gl馬の名誉を失ったに等しいカツラギハイデンが種牡馬への道を切り拓くためには、もう一度レースで結果を出さなければならなかった。ボロボロになった…

『西の地に没す』

4歳以降のカツラギハイデンを見てみると、まるでダイゴトツゲキがたどった馬生をそのまま後追いしたかのように苦難の道を歩んでいる。そんな彼には、やはりダイゴトツゲキと同じ屈辱が待っていた。本賞金が2300万円だったカツラギハイデンも、5歳夏の降級に…

『覚めない悪い夢』

だが、東上したカツラギハイデンは立ち直りのきっかけをつかめないまま、苦しい戦いを強いられることになった。 スプリングS(Gll)では2番人気に支持されたカツラギハイデンだったが、先行しながら直線ずるずる後退し、8着へと沈んだ。重馬場を気にしたとはい…

『躓きの石』

明け4歳になったカツラギハイデンは、初戦としてきさらぎ賞(Glll)を目標に調整された。もっとも、これはあくまでも通過点であり、当然のことながら、最終目標はもっと先にあった。西の3歳王者となったカツラギハイデンが目指すものは、全国統一、すなわちク…

『勝利を我が手に』

直線に入ると、西浦騎手はいよいよ仕掛けた。もっとも、ずっとインコースを走っていたカツラギハイデンの場合、前もごちゃついて、そうすんなりと抜け出す、というわけにはいかない。西浦騎手が仕掛けた時、ちょうど前の馬がよれた時には、周囲をひやりとさ…

『我が道を往く』

レース前のゲート入りでのカツラギハイデンは、ゲートを少し嫌がるしぐさを見せたものの、さほど深刻な事態にはならず、無事にゲートへと収まった。 ゲートが開くと、カツラギハイデンはスムーズにスタートしたものの、やがて位置を下げると、中団へと陣取っ…

『人気に託する希望』

前評判ではデイリー杯で牡馬を蹴散らしたヤマニンファルコンが有力視されていた阪神3歳S戦線だったが、フタをあけてみると、単勝1番人気は310円のカツラギハイデンだった。2番人気で410円のヤマニンファルコン、3番人気で490円の京都3歳S馬ノトパーソという…

『彼女たちの時代』

ところで、この年の阪神3歳Sには、例年にない奇妙な現象が起こっていた。出走馬10頭のうち3頭までを牝馬が占めていたのである。阪神3歳Sは当時まだ牡牝混合戦ではあったが、1975年から1984年までの優勝馬を見ると、牝馬が勝ったのは1度だけ、と言う牡馬優勢…

『勝ってびっくり』

入厩当初、カツラギハイデンは慢性的なソエに悩まされていた。10月にデビューしたのも、彼のソエが治ったわけではなく、むしろ「これ以上待っても症状は変わらないだろう」という見切り発車に近いものだった。しかし、カツラギハイデンは、万全ではない体調…

『金三角』

「サチノボールド」の最大の長所は、気性の素直さだったという。ボールドリック産駒は、父の気性難を受け継いでいることが多かったが、彼にはそうした欠陥は見られなかった。むしろおっとりした人なつっこい性格で、大塚牧場の人々が、「サチノボールド」に…

『女の子がほしかった・・・』

カツラギハイデンのふるさとは、三石の本桐にある大塚牧場である。大塚牧場は、明治35年開業という古い歴史もさることながら、その実績においても、第1回有馬記念をはじめ天皇賞、菊花賞をも制したメイヂヒカリ、やはり菊花賞を制し、重賞5勝を含めて通算36…

『早咲きの花』

1985年の阪神3歳S勝ち馬・カツラギハイデンも、前年のダイゴトツゲキに負けず劣らず印象の薄いGl馬である。しかし、カツラギハイデンに関していうならば、その影は最初から薄かったわけではない。カツラギハイデンは、「カツラギ」の冠名が冠せられているそ…

□第025話 前編2―「カツラギハイデンの章」

1983年生〜?。牡。鹿毛。大塚牧場(三石)産。 父ボールドリック、母サチノイマイ。土門一美厩舎(栗東)。 通算成績は、9戦3勝(3-5歳時)。主な勝ち鞍は、阪神3歳S(Gl)。 その才能をあまりにも早く咲かせすぎたことの代償だったのだろうか―。 (本作では…