『躓きの石』

 明け4歳になったカツラギハイデンは、初戦としてきさらぎ賞(Glll)を目標に調整された。もっとも、これはあくまでも通過点であり、当然のことながら、最終目標はもっと先にあった。西の3歳王者となったカツラギハイデンが目指すものは、全国統一、すなわちクラシック制覇以外になかった。

 当時の関西馬の評価がいかに低かったかは、この年は中京開催だったきさらぎ賞で1番人気に支持されたのがカツラギハイデン(2番人気)ではなく、前走京成杯を勝ってきた関東の牝馬ダイナフェアリーだったことからもうかがえる。しかし、カツラギハイデンは、血統的には早熟のマイラーではなく、距離が伸びていいタイプである。このまま順調に成長し、関西馬の大将格としてクラシックでの不名誉な連敗を止め、「弱い関西馬」の汚名を返上することを期待されていた。きさらぎ賞はそのための戦いの第一歩として、軽く勝っておきたいレースだった。

 ところが、カツラギハイデンはここでいきなりつまづいてしまった。初戦のきさらぎ賞で、スタート直後に楽鉄した上、いきなり引っかかってしまい、4着に敗れてしまったのである。勝ち馬フミノアプローズから5馬身も離されての完敗だった。

 勝ったフミノアプローズは、同じ土門厩舎の所属馬であり、カツラギハイデンにとってはステーブル・メイトだった。この結果は土門師やフミノアプローズに騎乗した丸山勝秀騎手にも意外なものだったようで、勝利のコメントは、

「現時点で比較すると、やはりまだカツラギハイデンの方に一日の長を感じる」(土門師)
「まさか、カツラギハイデンに勝てるとは思いませんでした」(丸山騎手)

というものだった。

 それでも、土門師や西浦騎手は、カツラギハイデンへの評価を下方修正する必要を認めなかった。この日のカツラギハイデンの仕上げは、先を見据えて7、8分程度だった。そのため土門師は、カツラギハイデンのクラシック参戦という当初の予定に変更を加えることなく、フミノアプローズとともに東上させることにした。

「本番が近くなれば、きっと立ち直ってくれる・・・」

 カツラギハイデンを取り巻く人々は、そう信じていた。