『人気に託する希望』

 前評判ではデイリー杯で牡馬を蹴散らしたヤマニンファルコンが有力視されていた阪神3歳S戦線だったが、フタをあけてみると、単勝1番人気は310円のカツラギハイデンだった。2番人気で410円のヤマニンファルコン、3番人気で490円の京都3歳S馬ノトパーソという牝馬たちが、これに続いていた。

 普通ならば、3戦2勝といっても勝ったのはいずれも条件戦、しかも前々走ではオープン特別で6着に大敗している馬が1番人気になるというのは、Glとしては異例のことである。この人気には、当時の関西ファンのある願望が反映されていたとされている。

 前にも述べたとおり、当時の競馬界は、東高西低が常識とされていた。牡馬クラシックレースの連敗は、前年もミホシンザンシリウスシンボリという2頭の関東馬に三冠を独占されたことで、1982年菊花賞以来、その連敗は10に伸びていた。今よりも遥かに東西対決意識が強かった当時ならばなおさらのこと、関西ファンは大レースをことごとく関東馬に持っていかれることに、とても悔しい思いをしていた。

「今年こそは」

という思いは、当然この年もあったはずである。

 ところが、この年の関西の有力牡馬たちは、クラシックを待たずして、そのほとんどが強い牝馬たちの軍門に下ってしまった。例えば牡馬としてはカツラギハイデンに次ぐ支持を集めて4番人気となったハギノビジョウフは、デイリー杯で既にヤマニンファルコンによって蹴散らされている。こんな馬たちが勝ったとしても、強い関東馬は倒せない。そして、牝馬が勝つようなら、やはり牝馬に負けるような牡馬たちは三冠全部を関東馬にさらわれてしまうだろう。

 そんな状況の中で、関西のファンはまだ上位牝馬陣と対戦していないカツラギハイデンに、ほのかな関西の夢と希望、そして誇りを託したのである。