『彼女たちの時代』

 ところで、この年の阪神3歳Sには、例年にない奇妙な現象が起こっていた。出走馬10頭のうち3頭までを牝馬が占めていたのである。阪神3歳Sは当時まだ牡牝混合戦ではあったが、1975年から1984年までの優勝馬を見ると、牝馬が勝ったのは1度だけ、と言う牡馬優勢のレースでもあった。また、牝馬には出走するレースがないわけでもなく、前年のレース体系改正によって、前週にラジオたんぱ3歳牝馬S(Glll)が創設され、年末の牝馬限定路線も既に確立していた。それなのに、3頭もの牝馬牝馬限定戦を捨てて牡牝混合戦である阪神3歳Sへと挑戦してきたことには、それなりの理由があった。

 この年の関西3歳重賞戦線は、牝馬旋風が吹き荒れていた。この年の関西3歳重賞戦線を見ると、主要どころは牝馬の独占状態であり、小倉3歳S(Glll)はキョウワシンザンが制し、デイリー杯3歳S(Gll)はヤマニンファルコン、ノトパーソでワン・ツーフィニッシュを決め、また重賞ではないもののクラシックに直結するといわれる京都3歳S(OP)も、デイリー杯2着のノトパーソが勝っていた。この結果を見ると、この年の関西は牝馬のレベルが高く、逆に牡馬のレベルが低いということになる。ならば、弱い牡馬を相手に乾坤一擲、Glの夢と賞金に挑戦したほうが、夢があるという計算が出てきても不思議ではない。牝馬3頭の出走の影には、Glの魅力のみならず、こういった裏事情もあった。