『予感なきクラシックロード』

 1986年牡馬クラシックロードは、絶対的な本命が不在の混戦模様が噂されていた。これは、当時の牡馬クラシック戦線の流れとはうって変わったものだった。

 当時の牡馬クラシック戦線を振り返ると、1983年のミスターシービーを手始めに、84年のシンボリルドルフ、そして85年のミホシンザン・・・と不動の主役たちが開幕を前に名乗りをあげ、開幕とともに当然のように人気に応えて勝利を重ねる光景を繰り広げてきた。・・・だが、名馬の時代が続いた後の86年に限っては、そんな本命馬たちに匹敵する安心感を与える存在は、どこにも見出すことができなかった。

 この年の出走馬たちの中に、「名馬候補生」がいなかったわけではない。無敗で皐月賞へ駒を進めた3歳王者ダイシンフブキは、それまで5戦5勝という完璧な戦績を残している。朝日杯3歳S(Gl)を無敗で制し、4歳初戦の弥生賞(Gll)でも優勝したこの馬は、戦績だけを見ればクラシックの主役として何の不足もない。また、日本の生産界を引っ張る社台ファームが自信を持って送り出した傑作ダイナガリバーも、新馬戦2着の後、共同通信杯(Glll)などを3連勝している。

 しかし、ダイシンフブキは完全な短距離血統であり、「いつかは止まる」ことが確実視されていた。またダイナガリバーにしても、先を見据えた将来性はともかく、現時点での完成度は疑問視されていたことも事実だった。「名馬の時代」を目の当たりにしてきた当時のファンは、三冠馬となり、あるいはせめて三冠馬に迫るほどの馬には、少なくともクラシック直前のこの時期には何らかの「予感」を感じさせてくれるものであることを知っていた。ダイシンフブキにしろダイナガリバーにしろ、この年の有力馬には、そんな「予感」が欠けていたのである。

 そんな混戦模様のクラシック戦線に向かったフレッシュボイスは、まず皐月賞(Gl)でしんがりから追い込み、勝ったダイナコスモスにクビ差の2着という惜しい結果を残した。予想以上の戦績に、フレッシュボイス陣営の意気は、おおいに上がった。日本ダービー(Gl)では、舞台は中山競馬場から東京競馬場へと移る。フレッシュボイスの末脚は、直線が長い東京でこそ生きるはず。400mの距離延長も、血統的にはともかく、2000mでも1600m以下のレースと同じように走ることができたフレッシュボイスならば、きっと苦にしないだろう・・・。

 だが、そんな彼らを待っていたのは、思いがけぬ失意の季節だった。ダービーを直前に控え、調教にも熱が入ったフレッシュボイスだったが、その調教後の砂浴びの途中に物音に驚いて立ち上がった際に外傷を負ってしまい、日本ダービーへの出走を断念する羽目になったのである。