『雪、降りやまず』
しかし、女性ファンではなく繁殖牝馬がフレッシュボイスのもとに殺到する日は、ついに来なかった。フレッシュボイスの種付けは増えることなく、彼の種牡馬としての成績は目を覆うばかりで、初年度の産駒がデビューした1993年の成績は、なんと898位だった。当時の日本のサイヤーランキングの順位がある種牡馬が1000頭前後であり、さらにそれはその年度に1頭でも産駒が出走した種牡馬はすべて含まれる・・・つまり、既に死亡した種牡馬や、事実上引退した種牡馬も含まれる。さらに、種牡馬の中には馬主が趣味で種牡馬入りさせたり、アテ馬として繋養されている馬もいることからすれば、フレッシュボイスの種牡馬成績は、内国産Gl馬としてはあまりに無惨なものだった。
さらに、種牡馬のサイヤーランキングは、デビューした世代が増えるに従って上がっていくのが普通だが、2年目以降の産駒自体がほとんどいないフレッシュボイスは、それ以降もまったく浮上の傾向はなかった。
それでも種牡馬生活を続けたフレッシュボイスだったが、ついに2001年を最後に、「用途変更」によって種牡馬登録を抹消され、それまで繋養されていた牧場からも姿を消した。
「フレッシュボイスはどこにいるのだろう―」
そんな疑問の声に対する答えは、多くの競馬ファンの胸を詰まらせた。
だが、フレッシュボイスは門別の「名馬のふるさとステーション」を経て、日高シルバーホースファームでいまだ健在であることが明らかになった。フレッシュボイスは、今や私たちには見えず、手も届かないところにいるのだろうか―。そんな最悪の結末が杞憂に終わったのは幸運なことである。
フレッシュボイスの生まれ故郷である小笠原牧場も、フレッシュボイスを出したしばらく後に、規模を縮小して場所も移転したという。競馬界・・・その厳しい競争社会に降りしきるささめ雪は、冷たく非情である。雪の阪神競馬場で鮮烈な差し切り勝ちを収めて全国区に躍り出たフレッシュボイスも、その第二の馬生は目には見えない、しかしやむことのない雪にたたられる形となった。そんな彼だからこそ、せめてその第三の馬生は、静かで穏やかなものとなってほしい・・・。[完]
記:1999年1月17日 補訂:2000年8月3日 2訂:2003年5月25日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/