『雪はやんだ・・・』

 しかし、そんな不安を振り払うかのように、フレッシュボイスは圧勝した。スタートから立ち後れ気味になって最後方からの競馬となったフレッシュボイスだったが、向こう正面でまだ一番後ろにいたにもかかわらず、第3コーナーを過ぎると、みるみる進出を開始した。直線では一完歩、一完歩ごとに、他の馬とは次元の違うパワーで鬼脚を爆発させ、最終的には2着に3馬身半差をつけて圧勝を飾ったのである。

 この日の実況を担当した関西競馬中継の名物アナウンサー・杉本清氏は

「雪はやんだ、フレッシュボイスだ! 」

と実況した。この実況はいわゆる「杉本節」のひとつとして後世に語り継がれているが、フレッシュボイスの名前も、当時の競馬界に「杉本節」の広がりとともに知られるようになっていった。・・・当日の降りしきる雪は、レースの間に弱まったとはいえ、ゴール後も降りやんでいたようには見えないというのは、どうでもいい話である。

 毎日杯を勝ったことで2000mの距離にも対応できることを証明したフレッシュボイスは、1986年牡馬クラシックロードを歩んでいくことになった。毎日杯での見事な騎乗が評価され、フレッシュボイスの主戦騎手は田原騎手が務めることになり、古小路騎手がその後フレッシュボイスに再び騎乗することはなかった。古小路騎手にとって、乗り替わりの原因となった負傷は、あまりに痛いものとなってしまった。