『器用貧乏』

 ダービーを回避した後、放牧に出されたフレッシュボイスは、夏を休養にあてて秋には復帰した。フレッシュボイスの秋の戦績は、神戸新聞杯(Gll)4着、菊花賞(Gl)6着、そして有馬記念(Gl)5着というものだった。これらの成績は、実力がなければ残せない数字ではあるが、だからといって抜けた実力があるとも評価できない・・・要するに、可もなく不可もないという程度のものだった。

 菊花賞有馬記念でもそこそこの成績を残したことで、長距離にもある程度の適性を示したフレッシュボイスは、5歳緒戦では日経新春杯(Gll)を勝ち、その距離適性をますます分からなくした。当時の日経新春杯は、現在やテンポイントの時代と違って別定戦であり、距離も芝2200mコースで行われていた。京都の長い坂を越えるコースでのこの距離は、単なるマイラーには到底こなせるものではない。皐月賞でも2着に入った実績を持つフレッシュボイスは、距離適性の点では、もはや血統の壁を越えていた。

 ただ、そうなると考えなければならないのが、フレッシュボイスの春のローテーションだった。この時期の古馬戦線には、中距離馬に適した大レースは組まれていない。マイルの安田記念(Gl)に向かうか、3200mの天皇賞・春(Gl)に向かうか、それともあくまで中距離にこだわって宝塚記念(Gl)まで待つのか・・・。

 フレッシュボイス陣営は、天皇賞・春への出走を目指し、まずは阪神大賞典(Gll)に進むことを決めた。前年の秋以降見せている距離適性の融通性からすれば、展開が向けば勝機はある。多くのホースマンにとって、盾とは古馬の最高の栄誉である。境師もまた、昭和に生きるホースマンとして、盾への夢を戦わずして捨てることはできなかった。

 後世の競馬関係者は、フレッシュボイスの距離適性を「マイルから中距離までの馬」と片づける。血統的には短距離血統、終わってみれば、自分自身の勝ち鞍もマイルから中距離に偏っていることからすれば、それはそのとおりというよりほかにないだろう。しかし、この時点でフレッシュボイスの距離適性を把握することは、困難だったと言わなければならない。4歳秋の結果は、一介の短距離馬に残せるものではない。中長距離戦線偏重の風潮が残っていた当時の情勢の中で、境師らが中長距離路線への対応の望みを託したとしても、誰も非難することはできないだろう。

 しかし、阪神大賞典で1番人気に支持されたフレッシュボイスは、勝ったスダホークからは大きく離された4着に敗れた。着順はともかく、内容が悪すぎた。

「距離がさらに伸び、相手もさらに強化される天皇賞・春では、勝負にならない・・・」

 境師は、天皇賞・春を目指していた目標を転換し、今度はマイル路線の安田記念(Gl)を目指すことになった。長い距離でもそこそこの戦績を残してしまう器用さが、フレッシュボイス本来の姿を見えにくくしてしまった側面は、否定できない。どんな距離でも通用するゼネラリストとしての適性は、マイルにおけるスペシャリストとしての彼の特性を覆い隠し、見切りも遅れてしまった。この時までの彼は、まさに「器用貧乏」という形で表されるだろう。だが、長い回り道を経て、彼はようやく自らの本分へとたどり着いたのである。