『挽歌』

 1986年の勝ち馬ゴールドシチーは、今回取り上げる6頭の中では、比較的有名な部類に属する。「四白流星尾花栗毛」―あらゆる馬の毛色の中で最も美しいといわれる毛色を持ったこの馬は、年間約8000頭が生産される日本のサラブレッドの中でも稀に見る美しさを持っていただけでなく、実力の面でも、単なる「早熟馬」として侮ることができないレベルに達していた。確かにゴールドシチーの勝ち鞍のみを並べると、阪神3歳S(Gl)が最初で最後の重賞勝ちであり、それが生涯最後の勝利である。しかし、ゴールドシチーはクラシック戦線で皆勤を果たしたのみならず、皐月賞(Gl)、菊花賞(Gl)では2着、日本ダービー(Gl)でも4着に入る健闘を見せている。この戦績は、4歳時点での同世代の中でもトップクラスというに値する。大多数のファンは、ゴールドシチーを1987年のクラシックを彩る名優の1頭に数えることに異存は特にないだろう。

 だが、ゴールドシチーの名前が有名になった背景には、もうひとつの別の理由もあった。1987年に牡馬クラシックを戦った彼らの世代は「悲劇の世代」とも呼ばれ、皐月賞で1、2、3着を占めた馬たちがすべて非業の最期を遂げてしまったことでも知られている。皐月賞菊花賞の二冠を制したサクラスターオー有馬記念で致命傷を負い、半年の闘病生活の後に安楽死となった。スプリングSの豪脚で一気にスターダムにのし上がり、皐月賞でも3着に入ったマティリアルは、その後は4歳春の輝きを失ったかのように長い不振に陥ったものの、復活を夢見て懸命に走り続け、6歳秋に2年半ぶりの勝利を挙げることと引き換えに、その生命を差し出した。そして、大願には届かなかったもののクラシックを沸かせ続けたゴールドシチーも、引退後間もなく、かつてのライバルたちの後を追うかのように、謎の死を遂げてしまった。こうしてゴールドシチーは、そのミステリアスな死によって悲劇の一角を担った悲しい運命ゆえに、我々の記憶により深く残ることとなったのである。