『馬に貴賎なし、然れども血統に貴賎あり』

 ゴールドシチーが生まれたのは、門別の田中牧場である。当時の田中牧場は、田中茂邦氏夫妻が2人で経営していた小さな牧場であり、過去に特筆すべき実績馬を出したこともなかった。

 ゴールドシチーの母であるイタリアンシチーは、大衆向け一口馬主クラブの走りともいうべき友駿ホースクラブの所有馬であり、子分けの繁殖牝馬として、田中牧場へ預託されていた。イタリアンシチーは、同クラブの所有馬として走ったものの、通算7戦1勝という平凡な成績しか残せず、また近親にも特筆すべき活躍馬の名は見当たらない。

 ゴールドシチーの父であるヴァイスリーガルは、現役時代は3歳時にカナダで8戦8勝を記録して年度代表馬になったほどの実績馬である。また、種牡馬としても日本へ輸入される前、1975年から77年にかけて3年続けてカナダのリーディングサイヤーに輝いており、さらにカナダでは、半弟ヴァイスリージェントが後に11年連続でカナダ・リーディングサイヤーに輝く一時代を築きあげるが、当時はそんな時代が幕を上げつつあった。そんな背景があって、ヴァイスリーガルが輸入される際は高い期待がかけられており、また彼がそれに応えるための下地も、十分に整っていたはずだった。

 だが、ヴァイスリーガル産駒は、日本では思ったような成績を残すことができなかった。近年マーベラスサンデーの母の父となり、BMSとしての優秀さに再び注目が集まったヴァイスリーガルだったが、当時としては種牡馬としての結果が見え始めており、既に高齢だったこともあって、当初の期待は急速にしぼみ、1984年にヴァイスリーガルが19歳で死亡したときも、馬産地ではそれほど惜しむ声はあがらなかった。

 父が死んだ年に生まれたばかりのゴールドシチー、血統名「ヘミングウェイ」も、そんな情勢を受けて、血統への期待はさほど大きなものではなかった。