『強さと脆さと』

 ただ、「ヘミングウェイ」は血統こそ平凡だったものの、その四白流星尾花栗毛という派手な外見は平凡ではなかった。彼の毛色の派手さ、そして美しさは際立っており、馬をほとんど知らない人でも、彼だけは遠くから見ただけですぐに区別できた。田中氏は、「ヘミングウェイ」について、

「もし競走馬になれなかったらディズニーランドに寄付しようか」

という話をしていたほどである。

 しかし、長ずるにつれて「ヘミングウェイ」は、競走馬としてもかなりの資質を持っていることが明らかになり始めた。田中氏によるディズニーランドへの寄贈案は、不発に終わった。

 「ヘミングウェイ」は、負けん気が並外れて強く、牧場内を走り回るときは、自分が先頭でないと気が済まないたちだった。気性は非常に激しく、田中氏の言うには、同期の中では「暴力行為でも抜きん出て」おり、ちょっと目を離すとすぐに同期の他の馬をいじめていたとのことである。そんな「ヘミングウェイ」は、同期から一目置かれていたのか恐れられていたのか、いつも群れのボスとして威張っていたという。

 2歳夏まで田中氏の牧場で過ごした「ヘミングウェイ」は、気性の悪さではさんざん田中氏に苦労をかけたものの、病気ひとつしない丈夫さという意味ではまったく手のかからない馬だった。やがて育成牧場に移っていった「ヘミングウェイ」は、母と同じ友駿ホースクラブの所有馬となり、競走馬としてデビューすることになり、その派手な外見からゴールドシチー命名され(「シチー」は冠名)、栗東の清水出美厩舎に入厩することになった。清水厩舎はその年開業したばかりであり、ゴールドシチーは実質的に清水厩舎の第一期生ということになる。

 清水師は、ゴールドシチーは、その素質とともに激しすぎる気性に

「こいつはものすごくいい成績を残すか、すぐに終わってしまうか、どっちかだ」

と感じたという。若き日のゴールドシチーは、まさに希望と紙一重の怖さとを併せ持っていた。