『星に願いを』

 ハクタイセイは、当時繁殖牝馬11頭という家族経営の生産農家だった三石の土田農場で、父ハイセイコーと母ダンサーライトとの間に生まれた。

 父のハイセイコーは、前述のように日本競馬の歴史の中でも特異な地位を占める名馬である。彼はデビュー当初、南関東競馬で無敗のまま6連勝を飾って「南関東の怪物」とうたわれ、さらにより強く、より大きな相手を求め、4歳クラシック戦線を前に中央競馬へと移籍してからも弥生賞スプリングS、そして皐月賞と勝ちまくった。無敗のまま連勝街道を驀進し、「南関東の怪物」から「地方から来た怪物」へと変わったハイセイコーに、大衆は

地方馬出身初のダービー馬誕生か」

と熱狂したのである。彼こそは、「中央のエリートをなぎ倒し、実力で頂点を奪う地方馬」という高度成長期の夢を体現する存在だった。中央競馬の頂点・日本ダービーでの彼の人気は、単勝馬券の最高支持率を記録した。

 その日本ダービーで宿敵タケホープの後塵を拝し(3着)、さらに菊花賞でもやはりタケホープの2着に終わったハイセイコーには、明らかに距離の壁があり、長距離偏重の感があった当時のレース体系のもとでは、不遇をかこつことになった。・・・だが、ファンの彼に対する愛情は、彼の引退まで変わらなかったのである。彼こそは、高度成長期を支えた名もなき大衆たちの代表者だった。

 また、ダンサーライトは、レースには不出走ながら、土田農場では高い期待をかけられた繁殖牝馬だった。土田農場では、最初にダンサーライトの売買の申し出があった際、もしこの馬を第三者に売って競馬場に送り出した場合、万が一にも土田農場に戻ってこないことを恐れ、その申し入れをあえて断った。そして、

「売買の申し入れを断った以上、競走馬として走らせたのでは、断った相手に申し訳ない」

ということで、そのまま繁殖入りさせて牧場の基礎牝馬としたのである。こうして競走経験がないまま繁殖入りしたダンサーライトが初仔を出産したのは、わずか5歳の時だった。

 ダンサーライトが初子を無事に出産した後、生産者の土田重実氏は、ダンサーライトの2度目の種付けにあたっては、パワーに優れた馬を生産したい、と考えた。ダンサーライトはもともと繁殖牝馬としては骨太で頑丈なタイプだから、その基盤は存在していた。また、馬主に馬を買ってもらう工夫としては、なじみのある内国産種牡馬が望ましい。そこで、ダンサーライトには、さらなるパワー型の種牡馬であり、さらに現役時代には内国産馬としてカリスマ的な人気を誇ったハイセイコーを交配することにした。

 やがてハイセイコーの子を無事受胎し、出産を待つばかりとなった際には、土田氏はまだ見ぬその子馬に、

ハイセイコーによく似た子になってほしい・・・」

という願いすら抱いていた。