『波乱の幕開け』

 閑話休題。こうして西の3歳王者に輝いたゴールドシチーは、最優秀3歳牡馬にも、朝日杯3歳S(Gl)馬のメリーナイスとの同時受賞ながら、見事に選出された。

 もっとも、この年は有力馬のデビューが遅れるケースが多く、暮れに間に合わず、あるいはGlをあえてスキップした素質馬が多いとされ、実力の評価は決して高くはなく、むしろ今ひとつという状態だった。最優秀3歳牡馬に選出されたといっても、記者投票の結果は、悪く言えば「どんぐりの背比べ」の大激戦であり、そこでもゴールドシチーは、53票のメリーナイス、40票のホクトヘリオスに次ぐ3位の39票しか得られず、選考委員会での逆転となった。「優駿」誌のフリーハンデでも、ゴールドシチーはトップとはいえ5頭並びの54kgという位置づけにすぎなかった。

 こうした空気を反映してか、一般ファンの彼に対する信頼も薄く、ゴールドシチーが東上しての初戦となったスプリングS(Gll)では、なんと5番人気にとどまっている。

 この日のゴールドシチーは、仕上がり途上だった上、いつにもまして、いれ込みがひどかった。道中もかかり通しで、マティリアルによる伝説の追い込みが決まったはるか後方で、6着に沈んでしまった。

 もっとも、ゴールドシチーの目標はあくまでもその先だった。清水師も、本番に向けて巻き返しを誓いはしたが、悲観はしなかった。清水師を絶望に陥れる事態が起こったのは、皐月賞直前のことだった。

 スプリングSの後、惨敗から巻き返すべく進められた調整は、至極順調なように思われた。ところが、いよいよ皐月賞(Gl)を4日後に備えて長距離輸送を済ませたゴールドシチーは、その後になって突然セン痛を起こしてしまったのである。

 不幸中の幸いというべきか、彼のセン痛の程度は軽く、4日後に皐月賞にも、出走することはできた。しかし、世代のトップクラスによる争いとなるレース直前に体調を崩した影響は、非常に大きかった。皐月賞当日のゴールドシチーには、いつものあふれるような生気は、まったくなかった。いれ込んでいるいつもの様子と比較して「落ち着いている」と見た人もいたものの、実際にはパドックで何度も輪を外れ、勝手に帰ろうとして周囲の爆笑を誘ったという逸話が示すとおり、ゴールドシチーはこの日、走ることを嫌がっていた。前走の大敗もあってすっかり人気を落としていたゴールドシチーは、トラブル続きも嫌われて、単勝11番人気にとどまった。