『戦いに生きて』

 ゴールドシチーの骨折の原因は、骨折の瞬間を目撃した人がいないため、推測に頼るよりほかにない。他の馬に蹴られた、不注意で柵にぶつかった、その他いろいろな理由が考えられるものの、上腕部という不思議な骨折の個所、そして発見されたときの状況からは、いずれも考えにくいという。

ゴールドシチーは自殺したんだ」

という説が語られるのも、それゆえである。

 現役時代の同馬を管理した清水師は、彼の最期の状況を知って

「一生わがままを貫き通して死んでいったんやろうね」

と漏らしたという。現役時代もわがままで、馬のくせに早起きが大嫌いだったため、他の馬が朝の調教をとっくに終えた午前10時を過ぎないと、決してトレセンに現れない「午前10時の男」として有名だったゴールドシチーは、自分が現在置かれた状況に我慢がならず、抗議するために自ら死を選んだということだろうか。

 また、「サクラスターオーやマティリアルの後を追った」という切り口で彼の死を語る向きも少なくない。4歳戦線をトップクラスの戦績でにぎわしたゴールドシチーがただの馬になってしまった時期は、ちょうどサクラスターオーの死の時期と一致する。ダービーでの謎の後退も、その気で見れば最大のライバルのサクラスターオーの姿がないことを知って走る気をなくしたように見えなくもない。1頭のライバルを永遠に失ったことで闘志を失ってしまったゴールドシチーだが、自分がターフを去った後も戦場で戦いつづけたもう1頭のライバル・マティリアルも京王杯AH(Glll)で最後の勝利と引き換えに戦場に散ったことを知り、戦いに生きる宿命を背負ったサラブレッドでありながら、ライバルに死に遅れて死に際を失った己への悔恨の思いにとらわれてしまったのかもしれない。

 ―これらの説はさておくにしても、1987年の皐月賞2着馬が、皐月賞馬から2年、同3着馬からはわずか半年遅れで、早すぎる死を遂げたことだけは、まぎれもなき歴史上の事実である。享年7歳。(この章、了)

記:2000年2月14日 補訂:2000年11月30日 2訂:2003年3月26日
文:「ぺ天使」@MilkyHorse.com
初出:http://www.retsuden.com/