『幻の三冠馬』
だが、一流馬への脚がかりとなるはずだったこの日、メリーナイスは無残にも重圧に押し潰されてしまった。好位につけて直線での抜け出しを図るはずだったメリーナイスは、淀の下り坂で一気に進出して第4コーナーで先頭にたったものの、そこからまったく手ごたえをなくしてしまい、馬群に沈んだのである。・・・9着という結果は、輝ける栄光とともにあるべきダービー馬にとって、屈辱的な惨敗だった。
しかも、この日の勝ち馬は、メリーナイスにとって最悪の馬だった。メリーナイスその他を下して菊花賞を制したのは、「菊の季節に桜が満開!」という実況で知られるとおり、皐月賞馬サクラスターオーだった。二冠馬は二冠馬でも、日本ダービーと菊花賞ではなく、皐月賞と菊花賞の二冠馬が誕生したのである。
皐月賞の後、脚部不安で戦列を離脱し、この日が半年ぶりの実戦だったサクラスターオーだが、過去に例のない強行ローテーションで二冠を制したその実力は、歴代菊花賞馬の中でも上位に入るといわれている。しかし、この日のサクラスターオーは9番人気に過ぎなかった。大多数のファンは、変則的な臨戦過程に目を奪われ、「常識」を忘れることができないまま、この馬を切り捨てていたのである。過酷な京都3000mを舞台に行われる菊花賞で、いくら実力があるといっても半年ぶり、しかもそれまで2000mまでしか走ったことのない馬が、見事に勝つことは、予想もつかないことだった。
そのあまりの意外性ゆえに、サクラスターオーはこの後「奇跡の二冠馬」と讃えられることになった。そして、その栄光の犠牲となったのは、またもメリーナイスだった。ゴールドシチーやサニースワローのようなダービー出走馬に負けるのなら、まだマシだった。負けた相手が、よりにもよってダービーを故障で棒に振ったサクラスターオーとなれば、言われることは、もう決まっていた。
「サクラスターオーがダービーに出てさえいれば・・・」
なるほど、サクラスターオーがダービーに出て勝っていたとすれば、「三冠馬」ということになる。現に、皐月賞・菊花賞ともサクラスターオーはメリーナイスに圧勝しているではないか。サクラスターオーがダービーに出走していたとすれば、メリーナイスが勝てたはずはない。サクラスターオーこそ「幻の三冠馬」であり、メリーナイスはサクラスターオー不在のダービーを盗んだに過ぎないのだ・・・。
かくして、いったんつかみかけた「最強」の座は、メリーナイスの手からするすると逃げていった。それどころか、間違いなく現実のものだったはずのダービーでの6馬身差の圧勝劇すらも、サクラスターオーの幻影に支配されることになってしまったのである。