『最強世代に生まれて』

 プレクラスニーは、1987年6月10日、北海道三石町にある嶋田牧場で生まれた。1987年の競馬界における主なできごとをたどってみると、牡馬クラシック戦線では悲運の二冠馬サクラスターオーがクラシックを戦い、また牝馬クラシック戦線では、マックスビューティが圧倒的な強さを見せた年である。

 プレクラスニーの父は、仏ダービークリスタルパレスである。クリスタルパレスは、もともとは芝の短距離向きのスピード血統とされていたGray Sovereign系の種牡馬の中では、スタミナも兼ね備えてバランスのとれた父系と評価されていた。種牡馬としての彼は、日本へ輸入される前にはフランスで供用されていたが、その際に仏リーディングサイアーに輝いた実績もあった。そんな名馬に対し、導入にあたっての馬産地の期待はかなりのものだった。

 また、母は7歳まで現役馬として走って通算53戦8勝の戦績を残し、重賞も新潟記念を勝っているミトモオーである。このタフな牝馬は、その他にもビクトリアC(エリザベス女王杯の前身)、牝馬東京タイムス杯(府中牝馬Sの前身)、毎日王冠で2着、オークスで5着といった成績を残している。

 視点を変えてプレクラスニーと同じ1987年に生まれた牡馬たちを見てみると、彼らの世代は特に実力水準の高い世代として知られている。彼らの世代の春のクラシックは、疾風の逃げ馬アイネスフウジンハイセイコー最後の傑作ハクタイセイ、そして鮮烈な差しでファンに愛されたメジロライアンの三強がしのぎを削り合い、皐月賞ハクタイセイ、ダービーはアイネスフウジンが制した。そして、夏を越して三強のうち二強が去った後の菊花賞で主役を演じたのは、無冠の大器メジロライアンではなく、夏以降に力をつけていったメジロマックイーンだった。さらに、彼らの世代はこうしたクラシックの主役たちだけでなく、ダイタクヘリオスメジロパーマーなどといったクラシック以外の路線からも、多くの強豪を輩出しているという特徴がある。

 しかし、若かりし日のプレクラスニーは、そんな高いレベルの世代の中で一流馬に数えられるようになるような存在ではなかった。華やかりしクラシック戦線には、影も形もなかった。それどころか、6月生まれと生まれた時期がかなり遅いこともあって、そのデビュー自体、4歳の2月までずれ込んだ。ただでさえ遅いデビューを果たしたプレクラスニーが4歳時に残した戦績は、条件戦ばかりでようやく6戦2勝というものだった。この時点での彼の成績は、高いレベルといわれるこの世代でなくとも、もとより人々の脚光を浴びるものではなかった。

 ただ、プレクラスニーにまったく将来の「兆し」がなかったかというと、そうでもなかった。プレクラスニーの鞍上は、デビュー直後の2戦を除いてはずっと2000勝騎手の増沢末夫騎手が手綱を取り、さらに4歳時に挙げた2勝は、いずれも芝1800mでのものだった。後に中距離で活躍することになるプレクラスニーの伏線は既に用意されていた。