『予感に満ちた夏』

 そんなプレクラスニーが本領を発揮し始めたのは、5歳を迎えた後のことだった。2勝目の後、放牧に出されて4歳秋を全休したプレクラスニーだったが、放牧から帰ってきた彼を見た管理調教師の矢野照正調教師は、たくましく成長している様を認め、

「秋にはきっと大きな仕事をする馬」

と彼に熱い期待をかけていた。そして、プレクラスニーも矢野師の期待に応え、芝1800mの条件戦を次々と勝ち上がっていった。

 1991年の4月に、それまでプレクラスニーの主戦騎手を務めていた増沢末夫騎手が、騎手を引退することになった。そのためプレクラスニーは、新たに若い江田照男騎手とコンビを組むことになったが、新コンビでの緒戦・晩秋S(1500万円下)でもあっさりと圧勝し、実力の違いを示した。そんなプレクラスニーがいよいよ迎えた重賞初挑戦の舞台は、得意の東京芝1800mコースで行われるハンデ戦(当時)のエプソムC(Glll)だった。

 エプソムCに出走するプレクラスニーは、当時既に競馬関係者や一部のファンの間で、東の成長株として注目を集めつつあり、この日の単勝280円は、堂々の1番人気だった。そして、このレースでも終始2番手につけて直線できっちり抜け出したプレクラスニーは、あっさりと重賞ウィナーの仲間入りを果たし、「関東の秘密兵器」という一部での評価が決して的外れなものではないことを示した。

 矢野師をはじめとする関係者たちは大いに喜び、プレクラスニーはご褒美として、秋まで充電に入ることになった。もっとも、これがただの休養であるはずもない。プレクラスニーのこれまで東京の芝コースでの戦績は3戦3勝である。このとき矢野師の視線の先には、おそらく東京の芝2000mで行われる古馬の最高峰・・・天皇賞・秋の盾があったに違いない。