『前途多難』

 もっとも、種牡馬としてのメジロライアンに、最初から洋々たる未来が開けていたわけではなかった。メジロライアンは一応その年に初年度産駒がデビューする内国産種牡馬の中でこそエース格に挙げられていたものの、その年の内国産種牡馬は、かなり層が薄いとされていた。

 同じ年に種牡馬デビューを果たした種牡馬たちの中に、日本でのGl勝ちがある内国産種牡馬は、メジロライアンを含めて6頭いた。しかし、そのうちレッツゴーターキンダイユウサクは「一発屋」以上には見られていなかったし、メジロマックイーン降着によって天皇賞・秋を勝ったとされるプレクラスニーに至っては、正当なGl馬とすら認識されていなかった。マイルCS(Gl)連覇をはじめ重賞を7勝したダイタクヘリオスは、実績的にはメジロライアンを遥かに凌ぐものの「血統的な魅力に欠ける」という理由で不当な評価しか得られておらず、結局、メジロライアン菊花賞レオダーバンが、この年の内国産種牡馬の目玉、ということになっていた。

 そんな手薄なメンバーを反映してか、引退して種牡馬入りしたメジロライアンだったが、種牡馬としての人気は必ずしも高いとはいえなかった。メジロライアン種牡馬生活をバックアップするべきはまず故郷のメジロ牧場だったが、困ったことに、メジロライアンの牝系はメジロ牧場の主流血統でもあり、配合できる牝馬は限られている。そこで、なんとかメジロライアン種牡馬として成功させてやりたかったメジロ牧場は、少しでも広い範囲から繁殖牝馬を集めることができるよう、メジロライアンをシンジケート種牡馬にすることにした。しかし、本当に大変だったのは、この後のことだった。

 メジロ牧場が最初にメジロライアンのシンジケートを提案すべく話を持ちかけたスタッドは、「馬房が足りない」とメジロ牧場の申し出を断った。馬房が一杯だったとしても、将来性豊かな馬が来るということになれば、古い馬を放出してでも新しい馬を入れるのがこの世界のならいである。このことは、種牡馬メジロライアンへの期待の薄さを物語っている。

 次にメジロ牧場が話を持っていったのが、メジロライアンの父のアンバーシャダイがいる静内・アロースタッドだった。結局メジロライアンのシンジケートは、ここを中心として結成されることになった。480万円×50株、総額2億4000万円のシンジケートは、同じ年に輸入された英国ダービー馬ドクターデヴィアスのシンジケートの5分の1以下の規模に過ぎなかった。

 ところが、この小さな規模のシンジケートすら、応募が少なくなかなか満口にはならなかった。アロースタッドの経営母体が必死に静内の有力牧場を回って頭を下げたものの、応じてくれる牧場はなかなか見付からない。結局、シンジケートに参加したのは浦河や門別の中小牧場がほとんどで、それでも埋まらなかった分はメジロ牧場が埋めてようやくシンジケート成立にこぎつけた。人気商売の種牡馬としてはあまりに不安な船出だった。

 そんな事情で、メジロライアンのもとに集まった繁殖牝馬も、それほど良質だったわけではなかった。ただ、せめてもの救いは生まれ故郷のメジロ牧場が何としてもメジロライアンを成功させたいということで、彼のために牧場の期待の繁殖牝馬を集中させたことだった。もともとメジロ牧場は血の偏りを避けるために同じ年に同じ種牡馬を多数付けることはしない主義だったうえ、牧場の主流血統もメジロライアンと重なっていたため、メジロライアンと配合できる牝馬は限られていた。しかしメジロ牧場メジロライアンとは異なる牝系の繁殖牝馬からいい馬ばかりを5頭選び出し、彼のために用意したのである。