『いつも側には君がいた』

 鮮やかな復活を遂げた日経賞から約半年後、天皇賞・秋(Gl)当日の東京競馬場で、メジロライアンの引退式が行われた。この日久しぶりに競馬場に姿を現したメジロライアンは、ファンの前で屈腱炎を忘れたかのような走りを披露した。メジロライアンがあまりにも気持ちよさそうに走るので、奥平師は思わず

天皇賞に出せば良かったかな」

と冗談を言うほどだった。

 しかし、その最後の走りを終え、後はメジロライアンを見送るばかりになった横山騎手の目には、涙が光っていた。この日を最後に、誰よりも強かった「僕の馬」は、彼の手の届かないところへと去っていくのである。

 まだ若かった横山騎手は、自分の騎乗が未熟であることを自覚していた。もしメジロライアンに別の一流騎手が騎乗していたとすれば、クラシック全部とはいわないまでも、どれかは獲れていたかもしれない。古馬になってからも、Glを何個か余計に勝っていたかもしれない。だが、メジロライアンは自分とともに戦ってくれた。生涯19戦のうち、15戦までを共に戦い抜いたメジロライアンとの別れは、彼にとって身を切られるようなつらい瞬間だった。

 横山騎手は、メジロライアンで負けることによって、競馬の難しさ、自分自身の欠点、そして勝ち方を少しずつ学んでいった。メジロライアンなくして今の横山騎手はなかったといってよいだろう。近年の横山騎手は、サクラローレルセイウンスカイなどに乗って大活躍しているが、その今でも、横山騎手が期待馬に初めて乗ったとき、感触を比べる基準となるのはメジロライアンに乗ったときの感触だという。

 そしてもうひとつ、これは果たして横山騎手は気付いていただろうか。メジロライアンが引退式でこれほど多くの声援を受け、故郷へ戻っていけたのが何故なのか。敗北すら不可欠の一部としてファンに愛されたメジロライアンにとっても、もはや横山騎手とのコンビは切り離せない一部だった。そして、彼は横山騎手と共に戦い、敗れることで成長し、ついにはGlで悲願を成就させたのである。メジロライアンを育てたのも、間違いなく横山騎手だった。

 ファンの大声援、そして横山騎手の涙に見送られながら、メジロライアン種牡馬になるために、北海道へと帰っていった。