『冬の時代へ』
しかし、それからの数年間は、メジロライアンにとって、そしてメジロ牧場にとって「冬の時代」となった。
まずメジロライアンの人気は、実際に産駒が生まれてからも特に上昇する気配はなかった。産駒が生まれると「馬体がいい」「走りそうだ」という評判が立って種牡馬の人気が上がることはあるはずだが、メジロライアンの場合は、そうした評判とも無縁だった。そうなると、人気は時の経過とともに落ちていくのがこの世界の掟である。
また、そのメジロライアンを支えるメジロ牧場に至っては、メジロライアンをはるかに超える厳しい状況の中に追い込まれていった。
メジロ牧場はメジロライアンの現役時代に一つの黄金時代を迎えていた。メジロライアンのほかにもメジロマックイーン、メジロパーマー、そして障害のメジログッデンという同世代の4頭が、Gl7個をはじめ、重賞を20個も勝った。しかし、黄金期の陰では、凋落の予兆が着実に現れていた。この黄金世代よりも下の世代の馬たちは、重賞どころか条件戦も満足に勝てない状況に陥っていた。それでも先の4頭は長い間一線級で戦ってメジロ牧場を支え続けたが、その4頭がターフを去ると、メジロ牧場は「天国から地獄」を地で行く絶不調に陥った。それ以降のメジロ牧場の生産馬たちからは、Glを勝つどころか、オープン馬すら滅多に出ない惨状になった。いや、それ以前に入厩すらできなかったり、また入厩しても普通の調教にすら耐えられず、すぐに故障して使い物にならなくなったりという馬ばかりになった。そのため厩舎との信頼関係までがおかしくなりかけたこともあったという。
メジロライアンたちの1つ下の世代から勝てなくなったメジロ牧場の凋落は、誰もが予想しないほどに長引いた。直前に訪れた黄金時代の栄華が素晴らしかっただけに、その落差も激しかった。その不振の深刻さがどれほどのものかというと、牧場の惨状を見かねたオーナーの北野ミヤ氏がスタッフに
「今なら借金も残らないし、牧場をたたむかい」
と言ったほどだったという。もちろんこれは本気ではなく牧場のスタッフの発奮を促すための言葉だったのだろうが、こうした状況がもう何年か続いていれば、この言葉は現実のものとなっていたかもしれない。メジロ牧場が迎えていたのは、間違いなく危急存亡の秋だった。