『名門復活』

 しかし、そんなメジロ牧場の危機を救ったのは、メジロライアンの子供たちだった。メジロ牧場が送り出したメジロライアンの初年度産駒の中からは、2頭の大物が出現したのである。その1頭はメジロビューティーとの間に生まれたメジロドーベルであり、もう1頭はレールデュタンとの間に生まれたメジロブライトだった。

 メジロドーベルメジロブライトはいずれも3歳戦線から重賞戦線で活躍し、メジロドーベルに至っては、並みいる外国産馬の強豪を撃破して阪神3歳牝馬S(Gl)を制覇し、見事に3歳女王の座に就いた。メジロライアンは、彼らの活躍によって、堂々の新種牡馬ランキング1位に輝いたばかりではない。総合3歳種牡馬部門でも、あのサンデーサイレンストニービンを抑え、ブライアンズタイムに続く2位を確保したのである。

 メジロライアン産駒の快進撃はその後も続き、3歳女王メジロドーベルは、4歳時にはオークス(Gl)、秋華賞(Gl)の二冠を、そして5歳時、6歳時にはエリザベス女王杯(Gl)を連覇し、牝馬のGl最多勝記録をうちたてて1999年に引退した。また、メジロブライトは、父とメジロ牧場の悲願を継いでクラシックに出陣し、ここでは父がそうだったように惜敗を続けてファンをくやし涙にくれさせたものの、5歳になってついに古馬の最高峰・天皇賞・春(Gl)に戴冠した。

 このように、メジロライアンは初年度産駒からいきなりGl馬を2頭輩出した。現役時代の実績では彼をはるかに上回る名馬たちが何年頑張ってもなかなか成し遂げられないことを、初年度だけでやってのけたのだから、驚きを禁じ得ない。彼は2年目以降の産駒からもオープン級の子を次々と送り出し、今や内国産種牡馬の新しいエースになっている。最初は引き取り手がなくて苦労したというメジロライアンの種付け権の価格は、一時は初年度の10倍以上にはね上がり、今も内国産種牡馬のトップクラスの評価を得ている。