『三強再戦』

  皐月賞父子制覇の偉業を果たしたハクタイセイに次に期待されたのは、父の果たしえなかったダービー制覇だった。ハクタイセイの父ハイセイコーは、皐月賞を勝ったものの、ダービーでは伏兵タケホープの後塵を拝して3着に敗れ去っている。父の夢を継いだ子が、果たしてダービーで父を乗り越えるのか。父のアイドル性もあって、ハクタイセイは今度こそ人々の注目を集める存在となった。

 だが、ダービー直前になってハクタイセイに新しい問題が起こった。鞍上がいなくなってしまったのである。

 皐月賞ハクタイセイに騎乗したのは南井克巳厩舎だったが、南井厩舎はダービーでは自厩舎の馬に騎乗する予定が決まっていたため、布施師はダービーでは南井騎手に代わり、きさらぎ賞まで騎乗していた須貝騎手に騎乗を依頼する予定だった。ところが、須貝騎手の父でもある須貝調教師から

「息子に皐月賞馬でのダービーは荷が重い」

と丁重な辞退の連絡があったのである。これでハクタイセイの鞍上は、宙に浮いてしまった。

 困った布施師は、関西の一流騎手のうち当日予定が空いている騎手ということで、最初は河内洋騎手に頼むつもりだった。しかし、布施師から河内騎手との仲立ちを頼まれた浅見国一師が栗東トレセンの騎手のたまり場へ河内騎手を探しに行った時、河内騎手の姿は見当たらなかった。もう河内騎手を探している時間も残っていない。そこで浅見師は、偶然その場にいた武豊騎手だったことから武騎手に話を通し、こうしてハクタイセイの鞍上は、武騎手が務めることになった。

 武騎手は、1988年にスーパークリークで初のクラシックとなる菊花賞を制していたものの、ダービーではまだ有力馬に騎乗する機会がなかった。そこに舞い込んだのが、皐月賞ハクタイセイへの騎乗依頼である。彼は事実上初めてダービーで「勝ち負け」のチャンスを得た。

 しかし、日本ダービー(Gl)で1番人気に推されたのは、皐月賞馬ではなく、皐月賞では3着に終わったメジロライアンだった。メジロライアン皐月賞でこそ敗れたものの、直線で見せた末脚は際だっていた。メジロライアンの最大の持ち味である強烈な差し脚は、直線の長い府中でこそ生きる、というのが人々の予想だった。また、メジロライアンは血統的にも距離が伸びて力を発揮するタイプだった。

 メジロライアン以下は、ハクタイセイが2番人気で、皐月賞2着のアイネスフウジンが3番人気となった。皐月賞馬がダービー1番人気になれなかった理由は、やはり父の血からくる距離不安が大きい。

 何はともあれ、メジロライアンアイネスフウジン、そしてハクタイセイの3頭は、体調も万全でダービーを迎えることになった。まさに「三強再戦」だった。