『名誉を取り戻すために』

 3000mを弾むように駆け抜けて、メジロマックイーンは1着でゴールに飛び込んだ。これで兄メジロデュレンに続く兄弟菊花賞制覇の達成になる。一方のメジロライアンは、メジロマックイーンに届かないどころか、後ろから追い込んできたもう1頭の芦毛ホワイトストーンにもかわされてよもやの3着に敗退してしまった。淀のゴールを先頭で駆け抜けたのは予想と同じ勝負服ではあったが、肝心の馬は違っていたのである。メジロライアンのクラシックは、こうして無冠のまま終わりを告げた。

 菊花賞で敗れた数日後、横山騎手は、北野豊吉氏の死後メジロ牧場のオーナーとなっていた北野夫人・ミヤさんが

「どうせなら春から頑張ってきたもう1頭の方に勝ってもらいたかった…」

ともらしたという話を知った。弥生賞の時には

「三冠を全部とれるかも」

とまで思わせてくれたメジロライアンを、ついにクラシックでは1度も勝たせることができなかった横山騎手は、己のふがいなさに人知れず悔し涙を流すことしかできなかった。

 菊花賞を制したマックイーンは、翌年の天皇賞・春(Gl)での父子三代天皇賞制覇という偉業達成へ向けて、休養に入ることになった。しかし、敗者に安楽な時を過ごすことは許されなかった。クラシック無冠に終わったメジロライアンは、おっとり刀で有馬記念(Gl)へと向かった。彼にとっては初めての、上の世代の強豪たちとの対決である。しかし、当時の5歳馬たちは有力馬の故障が相次いだこともあってレベルが低く、また長らく一線級で戦い続けてきた6歳馬たちには年齢的な衰えが忍び寄っていた。競馬界は明らかに世代交代の時期にあった。

 クラシックで善戦を続けたメジロライアンは、有馬記念では3番人気に支持された。彼と4歳世代の両雄を形成したのは菊花賞2着の後もジャパンC(Gl)で日本馬最先着の4着に善戦したホワイトストーンである。同じクラシック無冠馬に1番人気を奪われたのは、クラシック三冠を通じて常に中心にいたメジロライアンにとっては屈辱だった。それはさておき、三冠レースの勝ち馬の姿がないにもかかわらず4歳世代の両雄が高い人気を集めたことは、オグリキャップを筆頭とする平成三強時代を支えた古豪たちの時代が終わりつつあるという事実を、多くのファンが受け入れつつあったということを示していた。

 強い古馬の代表格とも言うべき6歳の最強馬オグリキャップは、天皇賞・秋(Gl)6着、ジャパンC(Gl)11着の惨敗が堪えて4番人気にとどまった。クラシック無冠に終わったメジロライアンにとって、ここで古馬たちを打ち破ることは、他馬に先駆けて世代交代の原動力となることで、クラシックを勝てなかったことから生じた遅れを取り戻すことにほかならなかった。大器が巻き返しを図るために、この年の有馬記念は最高の舞台だった。