『遅れてきたステイヤー』

 当時、メジロライアンの本質はステイヤーと評価されていた。父のアンバーシャダイ天皇賞・春有馬記念を制したステイヤーだったし、彼自身も皐月賞よりむしろダービーで強いレースをしていたことから、距離延長はむしろ好材料とみられていた。

 しかし、アンバーシャダイの全妹であるサクラハゴロモは、後の名スプリンター・サクラバクシンオーの母でもある。サクラバクシンオーといえば、中距離どころか1マイルでも長かったほどの生粋のスプリンターである。また、アンバーシャダイの父であるノーザンテーストも1400mの欧州Gl(フォワ賞)を勝ったぐらいだから、血統的には必ずしもステイヤー、というわけではなかった。

 満を持して追い始めたはずの横山騎手だったが、外を回って距離を余計に走ってきたこともあってか、メジロライアンの末脚にダービーの時のような冴えがなかった。横山騎手は、鞍上でムチを振るいながらも、パートナーの脚がまるで空回りしているかのように感じたという。ダービーからの600mの距離延長は、横山典騎手にとっては永遠の距離にも感じられた。

 レースの戦況を固唾を呑んで見守っていた奥平師は、メジロライアンの思わぬ苦戦に焦りを感じる一方で、前を行く芦毛の馬がさらに加速していく姿も目に入れずにはいられなかった。

「あの馬か! 」

その馬の正体に気がついた奥平師は、愕然とした。

 菊花賞の前、京都新聞杯を前にした併せ馬で、奥平師はその馬を預かっていた池江泰郎調教師から、彼が管理する馬をメジロライアンと2頭で併せ馬をさせてもらえないか、と頼まれたことがあった。聞けば、相手は京都新聞杯の前日に行われる嵐山S(準OP)に出走させる予定の条件馬だという。奥平師は

「条件馬がライアンと併せて併せ馬になるのかな」

と思いながらも、その馬もメジロ牧場の所有馬であるという縁も考えて引き受けた。

 ところが、併せ馬をやってみると、何とその馬はメジロライアンに勝る脚色を見せて、ついには先着してしまったのである。奥平師もそのときは「えらい馬がいるもんだ」と驚いただけで済んだが、その馬が菊花賞に出てくると聞いたときには密かに不気味さを感じていた。その馬が、やはりここで立ちはだかってこようとは。

 まだ白いというにはあまりに暗い鈍色のその芦毛馬は、距離も力の要る馬場もまったく苦にせず、まるでその走りは輝いているかのようだった。その芦毛馬こそが、菊花賞(Gl)、有馬記念(Gl)を勝った強豪を兄に持ち、後には兄を完全に超えて、自らも不世出の名ステイヤーとして燦然と競馬史に名を刻むことになるメジロマックイーンだった。育成時代をともに過ごし、牧場の評価ではむしろ格下だったはずの「オーロラの62」が、「輝光」のクラシックの夢に引導を渡したのである。