『無冠の帝王』

 メジロライアンの4歳時のGl戦績は、皐月賞3着(2番人気)、日本ダービー2着(1番人気)、菊花賞3着(1番人気)、有馬記念2着(3番人気)というものである。古くは1958年(昭和33)年にクラシック三冠ですべて2着だったカツラシュウホウ、1964年(昭和39年)に三冠すべてでシンザンに負け続けて3、2、2着だったウメノチカラの例があるものの、平成の世にここまで惜敗を続けてくれると、この馬のファンならずとも、歯ぎしりしたくもなるというものである。惨敗してくれればまだ諦めもつくが、メジロライアンの場合はいつも確実に追い込んでくる。実力があることは誰もが認めざるを得ない走りを見せているだけに、もの悲しささえ漂う成績だった。

 しかし、誰よりも悔しい思いをかみしめていたのは、鞍上の横山騎手だった。

「僕の馬が一番強い」

 その思いに変わりはなかった。だが、最強であるべき「僕の馬」は現実には4歳時のGl4つをひとつも勝つことができなかった。その理由はなんなのか・・・?その理由は、馬ではなく騎手にあるとしか考えられないではないか。1990年の年末は、横山騎手とメジロライアンにとっては、失意とともに過ぎ去っていった。