『非運の名馬たち』

 スズパレードの次走・弥生賞には、彼だけでなく、この年のクラシック戦線で有力視されていた他の強豪たちも出走してきており、その中には共同通信杯4歳S(Glll)でスズパレードを破って無傷の4連勝を果たしたビゼンニシキの姿もあった。

 しかし、ビゼンニシキの鞍上には、共同通信杯までのパートナーだった岡部幸雄騎手の姿はなかった。他の馬の陣営からも騎乗依頼を受けていた岡部騎手は、4連勝で弥生賞に駒を進めたビゼンニシキを捨てて他の馬を選び、この日はその馬の鞍上にあった。

 シンボリルドルフ。岡部騎手がビゼンニシキとの間でもまったく迷うことなく選んだその逸材は、後に無敗のまま三冠を達成し、Gl7勝を挙げ、日本競馬界史上最強の名馬としてすべての栄光をほしいままにして「絶対皇帝」と呼ばれる運命を背負った馬だった。

 そして、弥生賞皐月賞はすべて「シンボリルドルフビゼンニシキ」という構図で戦いが繰り広げられた。休み明け18kg増のシンボリルドルフが、満を持したはずのビゼンニシキに永遠の1馬身4分の3差をつけた弥生賞、そして弥生賞の反動か、22kg減のシンボリルドルフに対し、意地と誇りをかけてビゼンニシキが挑み、

「ルドルフは苦しさのあまり斜行した」
「斜行がなければ、結果はどっちに転んだか分からない・・・」

 今なおそう語り継がれる皐月賞。これらの戦いは、いずれもシンボリルドルフに凱歌があがった。ビゼンニシキの潜在能力と完成度も相当のものだったと言わなければならないが、彼にしてみれば、巡り合わせがあまりに悪すぎた。

 では、そんな戦いの中で、スズパレードはどこにいたのか。・・・弥生賞皐月賞ともビゼンニシキの次の次、共同通信杯4歳Sと同じ4着に収まっていた。田村正光騎手を背にして臨んだこれらのレースで、スズパレードが「二強」を脅かすシーンはなく、健闘を称えられる着順ではあるにしろ、それ以上のものではなかった。