『福島へ』

 春のクラシックの有力馬たちは、日本ダービーの後に放牧に出されるのが常だが、スズパレードの場合はもう1回叩いた後に放牧することになった。秋の選択肢を広げるためには、本賞金をもっと加算しておく必要があったためである。

 スズパレードの次走は、ラジオたんぱ賞(Glll)に決まった。ラジオたんぱ賞は、競馬場の改修などの事情がない場合は、当時から福島で開催されてきた。福島といえば、スズパレードを管理する富田師の地元でもあった。

 しかし、ファンは春のクラシックで大崩れすることのなかったスズパレードの手堅い実力を十分理解してはいなかった。この日の1番人気は、皐月賞日本ダービーの4着馬ではなく、ダービーの裏でニュージーランドT4歳S(Glll)を制していたニッポースワローの手に落ちたのである。

 スズパレード陣営にしてみれば、この相手で自分の競馬ができれば負けるはずがないと思っていた。春はシンボリルドルフビゼンニシキといった強い相手と戦ってきたという思いがあるスズパレードにとって、このレースのメンバーでは、ニッポースワローを含めた全出走馬より格上と自負していた彼らにとって、不本意な人気だったことは間違いない。

 春のレースから、スズパレードの特徴は長くいい脚を使える半面、一瞬の切れ味に欠けることだと考えた田村正光騎手は、早めに仕掛ける積極策に出た。すると、前にいた馬たちが競り合って共倒れになった影響もあったとはいえ、自らの持ち味も十分出し切って馬群から鮮やかに抜け出し、2馬身半差の快勝を収めた。こうしてスズパレードは、富田師に地元での重賞制覇という大きな喜びをプレゼントしたのである。

 レースの後、田村騎手は

「他の馬とは鍛えられ方が違ってますからね。このメンバーで負けたら、僕の責任だと思っていましたよ」

と話している。この時点での彼らには、秋に向けた進路はまだはっきりと定まっていなかった。