『皇帝の陰』

 皐月賞で4着に入ったことで日本ダービーへの出走を果たしたスズパレードだったが、それまでのレースでシンボリルドルフとは完全に勝負づけがついた形の彼に対し、ダービー制覇の期待は盛り上がらなかった。4番人気とはいえ、彼の単勝オッズは3000円近かった。というより、3番人気の馬でさえオッズは2000円を超え、焦点は単勝130円の断然人気を背負うシンボリルドルフに、同じく500円のビゼンニシキがどう挑むか、その一点に絞られていた感すらあった。

 彼が話題になったといえば、この日の21頭の日本ダービー出走馬たちの中には、スズパレードを含めて3頭のソルティンゴ産駒がいたことくらいだった。わずか1世代の供用で種牡馬としての生命を失ったソルティンゴが遺した42頭の産駒たちからこれだけのダービー出走馬が出たことは、まぎれもなくソルティンゴ種牡馬としての能力の高さを実証するものだった。そのことに気づいた馬産地の人々は、

ソルティンゴがもっとたくさんの仔を残していてくれれば・・・」

と、彼の悲運を惜しまずにはいられなかった。

 しかし、彼が注目を集めたのは、そこまでだった。この年の日本ダービーもまた、後世には「シンボリルドルフのためのレース」として語り継がれている。距離適性の差か、ライバルのビゼンニシキが大きく崩れて馬群に沈む中、シンボリルドルフも、向こう正面では岡部騎手の仕掛けにまったく反応せず、場内はどよめきに包まれた。だが、シンボリルドルフは第4コーナーを回ったあたりで、馬自身が勝負どころと判断すると、馬が勝手に動いて最後にはきっちり馬群を抜け出し、二冠を達成した。レース後、岡部騎手は

「馬に勝ち方を教えてもらった」

というコメントを発している。

 シンボリルドルフよりも常に前で競馬をしようとしたスズパレードだったが、彼が見せつけられたのは、どんな競馬をしても最後は冷酷にかわされ、突き放されてしまう己とシンボリルドルフとの絶望的な差だけだった。この日も4着だったスズパレードも、無様なレースをしたわけではない。他の世代に生まれてさえいれば、展開次第でクラシック戴冠の可能性もあったかもしれない。しかし、現実の彼の前には、常に若き日の皇帝がいた。

 日本ダービーの結果、もはや時代は二強ですらなく、1984年クラシック戦線、そして日本競馬界は、「シンボリルドルフ時代」へと突入していった。いつしか「絶対皇帝」と呼ばれるようになった無敗の二冠馬に、スズパレードを含めた他の馬がつけ入るスキは、もはや残っていなかった。