『コンプレックス』

 だが、ようやく本格化し始めたスズパレードを待っていたのは、思わぬ運命だった。次走に予定していた中山記念(Gll)を直前にして、スズパレード脚部不安を発症してしまったのである。そのため、シンボリルドルフとの天皇賞・春(Gl)での再戦も不可能となってしまった。

 この年の春は天皇賞・春を大目標と考えていたスズパレード陣営の人々にとって、これは不運以外の何者でもなかった。しかし、スズパレード自身にとって、それはむしろ幸運だったのかもしれない。前年のジャパンC(Gl)で、カツラギエースの一世一代の大逃げの前に3着に敗れたシンボリルドルフの連勝は止まっていたが、その後の有馬記念(Gl)では、ミスターシービーカツラギエースらをまとめて粉砕し、さらに年が改まって日経賞(Gll)では、格下の相手に「競」馬とさえ呼ぶことがはばかられる馬なりの逃げで圧勝しており、絶対皇帝の進撃はとどまるところを知らなかった。

 当時のシンボリルドルフと同世代の有力馬たちを見ると、ビゼンニシキは故障して引退し、スズマッハはマイル路線への転進を図っていた。4歳春からシンボリルドルフと戦い続けてきた馬たちは、それぞれの形で苦しみ、追い詰められてきた。そんな中で、スズパレードだけが不運だったということはできないだろう。むしろ、スズパレードシンボリルドルフの強さを知るが故に、彼と戦うことを拒否したのかもしれない。

 結局スズパレードは、復帰戦となった天皇賞・秋(Gl)でシンボリルドルフともう1度戦ったものの、この時の彼は、まったく戦う意志を持たないかのようなだらしなさで、終始後方のまま15着に沈んだ。このレースでは、シンボリルドルフがニホンピロウィナーやウィンザーノットを競り落としたところでなんと準OP馬のギャロップダイナに急襲され、差し切られるという大波乱が起こった。しかし、シンボリルドルフの一つ上の世代の馬達が最後の最後まで打倒シンボリルドルフにすべてを燃やし尽くしたのに比べて、スズパレードをはじめとするシンボリルドルフと同世代の馬たちがシンボリルドルフに先んじることは、ついになかった。